ポエムカフェと『月に吠えらんねえ』ファントークに行ったんですいね。

12月15日

 山陽小野田市立中央図書館にて毎月開催されているポエムカフェに参加した。私はだいたい新作の詩を持って発表するようにしている。

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 今回は参加人数が少なかったのが残念だった。参加者数に波がある。今は凪。それはそれで一つの詩について深く話せるというメリットもあるが。

 自作の詩でなくても、好きな詩や短歌、俳句の紹介などでも良いのでもうちょい参加者がいるとありがたい。

 一足早いクリスマスプレゼントとして自費出版した詩集を配布した。

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そもそも、月一回のこの集まりがなければこの詩集もなかったのだ。

概ね好評というか、ここで発表した詩がたくさん入っているから、やっとアルバムが出たんですね、的な嬉しさだと思われる。喜んでいただけたようで一安心。

 

 いつもは行く昼食のお誘いをお断りし、山口市立中央図書館へ向かう。

 

 中原中也記念館では、今『清家雪子展-「月に吠えらんねえ」の世界-』をやっていて、その関連イベントが図書館で行われた。

 ファントーク チューヤ編。

 山口県に住んでいながら山口市の図書館には初めて行った。県立図書館はよく行く。

スタバもあるし、公園で親子が遊んでいるし、建物はガラス張りだし、局地的におしゃれである。図書館職員の案内に従い会場となる部屋へむかう。

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早朝は必須だったコートを車に置いてきて正解だった。今日は暑い。

 一度とある読書会に参加し、失敗したことがあったので大きな不安を抱えたままの参加であった。

はたしてファントークはどういうやりかたで、誰がどのようにやっていくのか?

「月吠え」チューヤくんのみで1時間30分もつのか?

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 各自にシールの名札と清家展ファントーク質問メモが配られた。

 

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 これを軸に中也記念館の館長・中原さん(中也との血縁関係なし)が進行していくスタイル。

 終始空気が重い。一体何があれほど空気を重く、雰囲気を堅くしていたのか? 文ストのほうの中原中也がいるのではないかというくらいである(重力系の異能力)。

 以下、私がとったメモから抜粋。

 チューヤくんの好きなところとして、姿や、顔などわかりやすい外見から紹介される。確かに帽子やマントがないというのは珍しいかもしれない。髪の毛も白いし。三白眼が好きだという意見もあった。わかりみ。

 盗んだバイクで走るシーンなどから尾崎豊との類似の話へ。私はなぜか尾崎豊の息子が歌うカバーを思い出す(歌声がめちゃくちゃ似ている)。

 

 2巻にはチューヤくんメインの話がありそこについても意見が飛び交う。

 元カノとのやりとり、実際の長谷川泰子との違い、朔くんとのシーン(風花)、朔くんとの共通点。メインストーリーに絡まないがモブキャラとしてほどよさ。

 

子供(朔)の面倒をよくみるところから、息子、文也や泰子の子供の面倒をみてあげた話などへ。

 最後は中原中也が (シカク)街の神だったときはどういう世界だったのか? について思いをはせる。

 一夫多妻制、公用語が外国語、子供の世界、カオスな世界、ありえる。

 人を引きつけるけど、近くなりすぎるとぶつかり合い、会わなくなる。最後は一人になる。そして、中也しか居なくなった、ありえる。

 周りはきちんとしているが、中也だけがダダイズム的なカオス。ありうる。

 そもそも、登場人物が人のカタチなのか? 確かに、鰯の可能性もある。

 街、と他の街とのありかたも違ってくるのではないか? などなど。

 それから、戦争と詩の関わり。

 詩人以外の仕事について(評論、翻訳)、どの活動に重きをおくかがキャラクターに反映されている。トーソンはなぜ街? あっ、なんでだろ? 

 賢治、中也、朔太郎、の透明感が似ている、透明な悲しみ(哀しみ)。自分の中に入っていくのに、外に伝播していくタイプの。わかりみ。

 天気屋の2人も神だったらしい。俳句の人たちが神だった時代もあったのでなはいか。天気屋、そうだったか。いかん、部分的に忘れている。

 中原館長より、チューヤくんがピストルを打つシーンに関連した、中也と空気銃のお話。中也が持っていたおもちゃの空気銃はがあったらしい。空気銃はないが、玉が入った缶がある。錆びていて開かない。もうそれだけで詩になりそう。

 『月吠え』のなかでビール瓶で殴るシーンがあるが、本当に殴ったことがあるとのこと。……ただのヤバい奴やないか。

 

 中原館長「それでは最後にまだ今日、話されていないそちらの方、どうぞ」

 おもむろに私の後ろに座っていた人が、話し始める。

 

清家雪子です」

 

……は?

 

会場から湧き上がる悲鳴に似た歓喜の声。泣きそうになる人。

何か失礼なことを言ってなかったかなと焦る私。汗が出る。窓の近くで日射しがブラインド越しに汗を押し出す。

 

 ああ、今日は良い天気だ

 

 ここからは、ファントークではなく作者本人による解説となる。

 ただ、私は動揺してしまい、ここからきちんとメモをとっていない。

 

 余裕で1時間30分を過ぎて終了。その後も館長への質問などが飛び交うなか、

 

 清家(神)「サインとか全然しますよ」

 

急遽サイン会開催。

咽喉が鳴ります牡蠣殻と

サインの列に並んでいるときにそこかしこで会話が弾んでいた。

前半の固い雰囲気は何処へ?

ちなみに県外からの参加者の方が多かった。わざわざ山口県までようこそ。

 

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 私も詩を書く者の端くれとして、戦争詩という負の面があったという歴史を知っているということはたぶん大きい。

「月吠え」は、その見たくない部分に果敢に挑んだ価値ある作品であると思う。

そういう作品に出会えたことに感謝。教えてくれた友人に感謝。ありがとう。

 

 ぼんやりしたまま、中也記念館に展示を見に行く(行ってなかったんかい!)

 途中で詩が浮かんだので慌ててメモをとる。

 本物っぽいサンタクロースとすれ違う。

 山口市はいまクリスマス市だからまあそういうこともある。

 

 中也記念館にはサインが展示してあった。

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清家雪子展はきちんと「月吠え」を読みたくなる内容になっていた。とおもう。チューヤくんメインのスピンオフ作品「夕焼け」は大きいパネルで見た方が良さが1.5倍になる(ネット上で公開されているのでぜひ読んでほしい)。

 

 グッズを買って帰る(栞買うの忘れた)。

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中原中也記念館と清家雪子(神)に感謝。

 

PS.(雑感を何かの選手のインタビュー風にまとめてみた)

「そうですね、前半ちょっと重い空気だったんですけど、徐々に対応できたのではないかなと思います。あの空気の中で発言するっていうのはとても勇気がいることなんですけど、ある程度、爪痕は残せたんじゃないかなと。もう少し早いタイミングで場を和ますような発言ができれば、良かったかもしれないですね。

まあ、最後の展開はちょっと想定外でしたけど(笑)嬉しかったです。事前のツイートから想定しておくべきだったかもしれません。

また、3月にも「月吠えファントーク 朔 その他のキャラクター篇」があるんでそれに向けてコンディションを整えていきたいなと、自分のできることをやって、いい状態で挑みたいです。ありがとうございました。」

公開稽古を観てきたよ。

今日は嘉村礒多をテーマにした朗読劇の公開稽古を観に帰郷庵に行きました。

写真は礒多が生まれた年に落ちてきた隕石の記念碑です。

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「明日を紡ぐ大地の会」は山口県にゆかりのある文学者を紹介する朗読劇を年に2回、上演される団体です。

(写真は過去の台本)

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今回はありがたいことに嘉村礒多をテーマ選んでくださいました。

 

本番は11月24日(日)
ニューメディアプラザ山口
「2019 市民みんなの文化祭」
で上演されます。

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7つも団体が参加する大きなイベントになるようです👍
中南米音楽にフルートやサックスなどなど盛り沢山です☺️

朗読劇「神前結婚ー嘉村礒多の世界」観た感想ですが、本番の1ヶ月前でこのクオリティなら問題ないだろうと確信しました👌

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BGMを使ったり、スクリーンに写真や文章を表示して礒多の難しい言葉が、理解しやすいように工夫されていました。
この朗読劇で少しでも嘉村礒多のことを身近に感じてもらえたら良いなぁと思っております。

たぶん今日は礒多も観ていたでしょう。

たぶん。

礒多忌が11月30日なのですが、金子みすゞのイベントもあるようです!
これも行きたかった!

金子みすゞファンの方は是非。

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礒多忌では中西歌います🎤

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明日の大地を紡ぐ会の方が楽譜におこしてくださいました。

ありがとうございましたm(_ _)m

文フリ福岡キャンセルすまぬ。しかし礒多は止まらぬ。

文学フリマ福岡への参加をキャンセルしました。

 

昨年の今頃は入院していました。

あのときよりは全然マシではありますが、夏の間に不調と回復を行ったり来たりして結果、この秋にの気温の変化に地味にやられております。

根本的に文学とか文学フリマとかへの自分の取り組み方について考えてから出直します。

まぁ、健康な体あってこその文学活動です。

 

文学フリマ福岡はキャンセルしましたが、11月の嘉村礒多の命日には「礒多忌」があります。

そして、山口市で活動されている「明日の大地を紡ぐ会」の皆さんが、嘉村礒多をテーマにした朗読劇を上演してくださることになりました。

ありがたい!!

 

イベントを整理しておきます。

 

嘉村礒多のイベント一覧

 

日時 10月27日(日) 14時から 

場所 嘉村礒多生家 帰郷庵

明日の大地を紡ぐ会

朗読劇「神前結婚ー嘉村礒多の世界」公開稽古。

 

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日時 11月24日(日) 13時30分から 

ニューメディアプラザ山口

主催 明日の大地を紡ぐ会 「市民みんなの文化祭」

朗読劇「神前結婚ー嘉村礒多の世界」

 

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日時 11月30日(土) 13時30分から15時

場所 帰郷庵

礒多を読む会

87回 礒多忌

 

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11月まで頑張ります。

山口県庁に行った話

今日は仕事を午後から休んで山口県庁に行った。

途中の下松サービスエリアで食べた牛骨ラーメン🍜とライス🍚がぶち美味しかった。

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下りのサービスエリアのほうが好きだが、普段はあまり寄る機会がない。

上りとご飯のメニュー同じにしてくれんかね?

 

やまぐち文学回廊構想推進協議会会議(長い)に遅刻しそうだったがギリギリ間に合う。

新しいプリウスのカーナビは優秀である(車買い替えた)。

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会議の名前はとても長いが、会議自体はスムーズに進行した。

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昨年は体調を崩して最低限の活動しか出来なかったので今年度はもうちょい能動的に活動したい。

活動報告をしつつそう思った。

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新たに作られた「やまぐちの文学者たち(追補版)」には20名が追加された。

これでちょうど100名。ひと段落といったところだろうか。

山口県内の図書館などで入手できると思われる。

 

ゴールデンウィークのことをブログで振り返るつもりだったが、小説っぽくなりつつあったので小説にすることにした。

公開はいつになるかはわからない。

でも、こうして「小説にする」と書いてしまうことで己にプレッシャーをかけておこう。

車を買い替えた件も小説に書くか。

 

帰りはカーステで曲を聴きながら、歌いながら帰った。

スマホからBluetoothで接続して曲が聴けるのは便利だな。タイトルが表示されるのが素晴らしい。

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歌い過ぎで酸欠みたいになったことは誰にも言わないでくれ。

 

明日は哲学カフェに行く予定。

最近は他の用事とかぶったり、仕事だったりで行けなかったので久しぶり。

MTG ミーティングじゃなくてさ

 久しぶりにマジック:ザ・ギャザリングをした。

 つまるところカードゲームをしたということだ。

 マジック:ザ・ギャザリングはカードゲームの草分け的存在といえる。

 略称がMTGで最近はミーティングのことをMTGと記入する傾向があるらしくとても紛らわしい。

 私が中学生のころに「遊戯王」のカードゲームの元ネタとしてあった。

 当時はルールがよくわかっていなかったし、カードも今より割高だったので、高校でやめるつもりだったのだが、高校の同じクラスにいた奴が、「やろうか」と誘われてなんだかんだでやることになった。

 高校の頃はその友達とよくやっていた。社会人になってからも年に2回くらいはやっていて、プレイはものっそい遅く、一線でやってる人が見たらイライラする速度ではあるだろうが、楽しくやっている。

 ブースタードラフトという遊び方でやっていて、説明がめんどいので詳細は省くが、その場で即興でデッキを作って戦うというやりかたである。

    https://mtg-jp.com/gameplay/format/draft.html

 

 ここで注目したいのは、このカードに使用されている日本語についてである。

 元々、英語で書かれたテキストを翻訳しているためかなりわかりにくい表現があり、たまに詩的に感じることもあるのだ。

 

 《激情の絆》

ソーサリー

クリーチャー1体と、他の、クリーチャー1体かプレインズウォーカー1体かプレイヤー1人を対象とする。ターン終了時まで、その前者のコントロールを得る。そのクリーチャーをアンタップする。ターン終了時まで、それは速攻を得る。激情の絆はその後者に2点のダメージを与える。

 

 ちょっと何言ってるのかよくわからないですね。という感じだが、慣れているひとは「ああそういうことね」と理解できる。

 

 英語だとこういう文章はよくあるのかもしれない。

 こういうテキストに頭を悩ませ公式ガイドブックを参照しつつ、結局一日中カードゲームをやっていた。

 疲れた。

 

 私は、嘉村礒多が英語を必死に勉強し、なんとかものにしようとしていたことと、妻に会うのが嫌で知り合いの家で碁をやっていたことを思い出していた。

 

 

MTGのテキストも小説も詩もそれぞれに専門的に変化しているような気がする。

まぁ、世の中にはそれぞれの分野でしか通じないような言葉がたくさんある。

市役所の書類文章とか。

 

世の中にある沢山の「ちょっと何言ってるのかよくわからないですね」と感じる文章と戦っていかねばと考えている。

わかりたいという想いを止めないように。 

中原中也生誕祭 湯けむりを雨がすり抜けていました

中原中也生誕祭でした。  

あいにくの雨。

空の下の朗読会ではなく、屋根の下の朗読会となる。

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まずは中原中也記念館にて、最終候補の6作品をざっと読む。

それぞれ方向性がバラバラで、ほとんど好みでしかないような気もする。

しかし、中原中也賞は、選評委員の好みというかわがままで選んでいい賞だとも思う。 

『する、されるユートピア』 井戸川 射子  

母の死と主体の性別さえ曖昧な感じ、宇宙と土、年齢や時間を飛び越える。  

具体的に死を乗り越えるための言葉が足りていないという認識。  

字間の狭さが、脳内の混乱を表している(?)意図した字間なのか?  

別れ(死)と出会いではなく、共有か同じ場所と時間を過ごすことが対比される。  

他人の行動で思い出す自分の過去が同期(全く同じ)ではないけれど似ていてほしいという願望。

 

『リリ毛』 小縞山 いう  

詩に小さい字と普通の大きさの字が使われている作品が半分くらいある。ルビのように見える。が、たぶん小さい字はささやく感じでイメージしてほしいということだろう。あまり効果的ではない気がする。  

一つ目のちょっとどころではなくとっつきにくい詩が続くのであればもう諦めていた。  同じ大きさの字の詩はすらすら読める。

今更だけど「リリ毛」ってなに?

「海み」「夜る」などのおくりがなの意図がわからん。

 

『fey』殿塚 友美  

クラフト紙と和綴じに箱入り、私家版で限定30部。よく作ったな。  

アイテムとして欲しい。  

内容はとてもわかりやすい。難しい言葉もなく詩も短い。  

途中に入る詩ではない「ちょっとひとこと」みたいな文章が逆にきになる。  

記憶というよりは今のこと。  

デザイン的にも内容的にもきちんと落ち着いてコントロールしている感じがあって、落ち着きを与えてくれる。欲しい。

 

『傾いた夜空の下で』 岩倉 文也  

短歌と詩の連作をどう評価するのかがわからん。どうするべきだ?  

詩の内容が自分のと似ていて少し嫌だ(笑)  

買ってもいい。買ってじっくり読まないとわからないことが多すぎる。  

中也の影響があるように感じる。  

詩と短歌は別に対応しているわけではないようだ。してるのか?  

詩集? うーむ、歌集? うーむ。  

Twitterで発表された作品が多い。Twitterで読むとまた印象が違うだろう。

 

『忘失について』 水下 暢也  

昔あったかもしれないことを風景画として残しているイメージ。  

脳内に浮かぶ風景がことごとくセピア色かモノクロ。  

この作品集自体が忘れられたことのスケッチであるということ(たぶん)。  

自分が思潮社の詩集に慣れすぎているため読みやすく感じる。  

詩集はテキストのみでは比較できない。自分がその本を読みやすいかどうかも評価に関わってくると言うことを前提としたい。

 

『使い』 倉石 信乃  

読むのがとても辛い。言葉がトゲトゲしている。  

しかも勢いじゃなく「勢い(ノリのようなもの)」を技術として使いこなしているのでたちがわるい。  

不満やストレスのはけ口として詩はあってもよいが、私はユーモアがほしい。  

この詩集にユーモアが全くないわけじゃないが、とにかく辛い。  

辛いのだ読むのが。  

 

予習を終えて、朗読会の会場へ向かう。  

昨年もいた人、いない人。  

あ、海老名絢さんおる。ちょっと話す。

 

地元の小学生や今年の受賞者が中也に花を捧げたあと、屋根の下の朗読会が始まる。

毎年思うが、小学生男子の「汚れつちまった悲しみ」の汚れてなさがぱねぇな。  

受賞者の朗読もあり、井戸川さんは朗読もうめぇ。昔、演劇をやってましたとか言われたら信じるレベル。  

自分の詩の朗読は思っていたよりうまくいかなかった。  

そういうこともある。中也は酔っぱらってからよく自分の詩の朗読をやっていたらしい。周りもみんな酔い潰れて聞いてないのにやってたとか。  

そうやって、声に出すことでつかめるものもあるだろう。今回の私の朗読もきっと明後日くらいには意味を帯びてくるだろう。  

海老名さんの朗読はよかった。文學界に掲載された詩の朗読だったのだが、一緒に掲載されたインパクトの強すぎる写真からようやく詩が詩として私のところにやってきた感じがあった。  

朗読会のあとさすがにお腹がすいたので離脱する。  

 

授賞式まで『ひかりがやわい』を読む。

 

『ひかりがやわい』海老名絢  

おさめられた作品のほとんどが、現代詩手帳とかユリイカに掲載されたもので、完成度が高いと思われる(その完成度の高さはそのとき選評した人の基準である)。  

日記のような詩集といえる、日常の詩といえる。  

日常の狭さ、他人との関わりのなさと、深く関わることの怖さ、諸々から適度に逃げるということ。  

ぐったりだけど肯定したい今現在への優しさ(ひかりのやわらかさ)が溢れている。

選考委員側に立てば、もっと深く潜れってことだろうか?(推理でしかないが)  

 

感想をざっくり伝えてサインをもらう(ただのファンじゃねーか)。  

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最終候補には残らなかった。確かに今回の6作品と比べるとはじかれても仕方がないのかもしれない。6作品のどれも「これは自分のために書かれた詩集だ」と感じる人がいてもおかしくないし、まじで甲乙つけがたい。  

現状問題があるとすれば、最終候補や他の投稿された作品を読み比べる場所が中也記念館にしかないということだろうか。  

なんにせよ毎年、選評委員大変だな。おつかれさまです。温泉でゆっくりしていってね(唐突なネットスラング)。

 

授賞式はスムーズに進む。相変わらずステージ上で座っている荒川洋治氏が寝ているように見える。  

佐々木幹郎による選考過程の説明は毎年面白い。

詳細はユリイカに掲載された内容とほとんどかわりないんだが、やっぱり直に説明をされると腑に落ちる。  

しかし、ふと『する、されるユートピア』は母の死が描かれているが、全く「父」の存在がないことに気がつく。まぁ、いいか。  

中也が描いた「死」と井戸川が描く「死」の違いについてふれていた。  

一歩引いた冷静な視点というか。悲しみを客観的に捉える視点のブレのなさとか。

受賞者の挨拶では、もとのタイトルが「影響しあうユートピア」だったことがあかされた。する、される、のほうがええな。うん。(この「うん」がもう影響されとるやないかいという高度なノリツッコミ)  

井戸川さんは朗読のときといい、挨拶といい堂々としているというか、さすが高校の先生だなと。  

 

その後、作家の赤坂真理による記念講演があったのだが、あまりにも内容が悪かった。 中原中也の詩への感想というか雑感と、「サーカス」をテーマにした即興詩(エレキギターとの共演)という構成だったのだが、どちらもひどかった。  

 前半の講演は「え、レジュメ書いて来た? 大丈夫? 緊張してます?」というレベルのたどたどしさで、私を常に不安にさせた。  

 即興詩はまずどこまで練ってるのかか不明だし、どのように展開しようかという不安がヒシヒシと伝わってきて、常に私を不安にさせた。

「言葉を紡いでいくときの緊張感とギターの音とのコラボレーションが素晴らしかったです」と私が関係者なら頑張って褒めたたえただろうが、この日は詩集を7作も読み、朗読会にも参加したので文学的な感覚が研ぎ澄まされて作品やパフォーマンスに対するハードルが高くなっていたので、クソなものには堂々と自信をもってクソだと言いたい。  

あの記念講演は私にとっては確実にクソだった(逆にとても良かった、という人もいることだろう)。

 

 授賞式で会った知り合いと夕ご飯を食べに行く。

 久しぶりに会ったのでものすごく長いこと話す。

 お互いのこれまでとこれからには殆ど絶望しかないが、まあ仕方ないという話をする。 つまりはその絶望をどのようなユーモアでオブラートに包むかという話で、絶望の話ではなくオブラートと包み方の話になったので良かった(詩的に内容をごまかす高等技術。テストに出るぞぉ)。

 まあ、中原中也賞が、島清恋愛文学賞のように一回中止になったりしないことを祈るばかりだ。  

そうして詩人に優しい湯田温泉の1日は終わった。  

一日中、湯けむりを雨がすり抜け続けていた。   

湯田温泉にて わけわからんを味わおう

明日は中原中也生誕祭と中也賞の授賞式なので湯田温泉にやってきた。

嘉村礒多も先妻の静子の実家があったのでよく来ていたらしい。

礒多を描いた小説『遥かなる雲』では小林秀雄中原中也を知らないか尋ねられて、知らず「前の妻の実家」を思い出すというシーンがある。

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『遥かなる雲 私小説家・嘉村礒多の苦闘の短い生涯』著・堂迫充



中也は礒多のことを作品を通じて知っていた。珍しく良い評価をしていたことが、手紙で残っていて、その件に関する展示が今年の3月にありました。

嘉村礒多を紹介して頂けて有り難かった。

でも、まあ普通に見学に来た人からしたら「そいつ誰やねん」だったとは思う。

今展示をしている詩人・上田敏雄のことも殆どの人は「誰なんかね?」だと思う。

私もたまたま知っていただけなのでそりゃぁ仕方ない。

でもまあこれをきっかけにシュルレアリスムの世界を少しだけ覗いてみてほしい。

まじでわけわからんから。

でもそれで良いらしい。

 

中也のLINEスタンプが発売されたとのこと。

中也ファンはゲットして使いまくりませう。

中原中也記念館の向かいにある「狐の足あと」では山口県の日本酒や、ケーキ、足湯が楽しめる。

酒呑みたい。オススメは金雀。

忘れ物が発覚し、慌てて買いに行ったせいで色々と予定が崩れる。

温泉がぶち気持ちよかった。

今もうちぃと眠たい。

温泉は疲れを癒すというよりは疲れを表に出してくれるイメージ(個人の感想です)。

なので、表出した「疲れ」をきちんと「早寝」で対応しておかないと疲れが残ってしまう気がする(故人の感想です)。

何が読みたくなってもいいように沢山の本を持ってきたけど寝よう。

明日の朝も温泉に入ろう。

湯田温泉で自主的なカンヅメしたい。

小説書くぞ! って意気込んだ結果すごい詩が書けそう(詩かい!)