2年ぶりの文学フリマ広島

朝、思ったより早く目が覚めた。

昨夜遅くまであれこれと準備していたが起きることができた。

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(長生きすぎだろ)

最寄りの駅まで車で行き、広島まで1時間と少し。

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電車も久しぶりだ。読書が捗る。

アンドレイ・クルコフ著『ウクライナ日記』。

ウクライナの作家による2013年11月21日からの「ユーロマイダン」の日々を綴る。

この頃からすでにかなり悲惨であったことが伺える。

 

路面電車もご無沙汰。

千円札を両替してから、PASMO使えることに気がつく。チャージはできない。

そういえば最寄りの駅(田舎)でもPASMO使えたな(やっと)。

広島に来たという事実を路面電車の揺れが教えてくれる。

 

若干、西展示館に行ったりしつつ、広島産業会館 東展示館に到着。

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文学フリマのホームページの写真と建物の色が違うやないかい)

体温検査しcocoaを見せて、出店者シールをもらい入場。準備に取り掛かる。

準備中に見本誌に貼る紙をハサミで切っているとき気が付いたのだが、今回は、既刊の見本誌も全て回収すると書いてあってハサミを止める。

マジ? え、それはちょっときついなと、思いつつ作業を進め、見本誌コーナーに持っていく。

スタッフに確認すると回収しても良いとのことだったのでホッとした。

出店者側としては初参加の知り合い「創林舎」は、単価の高い本を取り扱っており、回収されるのが嫌なので見本誌を準備しなかったとのこと。

この件については夜にTwitterの#文学フリマスペースでも質問した。

どうやら「不特定多数が触れたものを返却するなんてダメだ」という意見もあるようで。

なんにせよ、コロナが全て悪いのである。

 

やはり、いくつかキャンセルしたっぽいブースもありつつ、開場がアナウンスされときは皆大きな拍手で祝った。

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2年前の文学フリマのときは来場者としての参加だった(3年前は出店者)。

コロナが流行り始め、イベントを控えるムードが漂いつつあるなか、キャンセルで閑散としてしまった会場を見て、次は出店しようと思ってから2年である。

 

今回、我がヴィリジアン・ヴィガンはいつもの嘉村礒多選集と、私の詩集、そして、文芸同人情報誌「文芸ごきんじょ山口版2021」を委託販売した。

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結果は、ぶっちゃけ良いとは言えない内容だったが「文芸ごきんじょ」はそこそこ売れたのでよかった。

嘉村礒多に関するフリーペーパーも配布できたので、本を手に取らなくても気になった人は図書館で探すだろう。

なんにせよ、作戦を練り直す必要があるなぁ、と考えながらブースを「文芸ごきんじょ」編集者に預けて昼食を摂り、来場者として存分に楽しんだ。

というか、多分買いすぎた。

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読むかどうかはまた別の話である。

文学フリマで購入した本が家にあるということでしか、満たせない何かがあるのだ。

 

私は、山口県からの参加だったが、たまたまお隣のブース「リアス式海岸」も山口県からだったようで「文芸ごきんじょ」編集者とめっちゃ仲良くなってた。

あと「リアス式海岸」ブースに来たお客さんが倒れて大変だったんですよ、と言われてびっくりした。

「その人に中西さんのジャケットがかかった椅子を使ったんで、椅子を交換して新しくなってます」

私にはパイプ椅子が新しい別の物になったのかどうか判別できなかったが、この件から得られる教訓は、出店者も来場者も前日はよく食べよく眠ることである。ギリギリまで準備をして嘉村礒多を長生きさせたりしてはいけないのだ。

 

終了する際もまた会場を大きな、そして長い拍手がみたした。2年分の拍手である。

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ブースの撤収と会場の片付けを手伝ってから離脱。

知人と3人でささやかな打ち上げ。

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2年前にも同じお好み焼き屋で食べた。あのときは客が多くて入店できたのはラッキーだったが今はすんなり入れた。

 

帰りの電車も『ウクライナ日記』。

当時のウクライナの日常と、今のウクライナの日常と、いま日本に居る私の日常の比較はあまり意味がないが、それぞれを知っているということはおそらく重要なことだ。

 

家に帰ってからすぐ風呂に入り、荷物を片付ながら、Twitter文学フリマスペースを聞きつつ、発言しつつ、つぶやきつつ。

 

今後の文学フリマのありかたなどについて、主に文学フリマスタッフ側からさまざまな意見があった。

結論だけ言うと、見本誌コーナーと、懇親会は今後の文学フリマに必要である。

不要な出店者は見本誌を置かなければよいし、懇親会には参加しなければよい。

また、文学フリマの理念についてや機能の発展についてもあれこれ発言があったが、それは青い鳥の餌にしかならない(*)ので割愛しておく。

*「青い鳥(Twitter)の餌にしかならない」はどれだけ議論しても終わりのないテーマについて永遠に話したり(書いたり)し続けることを表す私が作った諺。類似語に「焼き鳥にして食うぞ」などがある(今なにしてる? に対するスラング

 

文学フリマ広島が無事に開催できたことに感謝。

スタッフ、出店者、来場者の皆さまおつかれさまでした。

ありがとうございました。

 

「帰郷庵」開館10周年記念講演会

今日は嘉村礒多生家「帰郷庵」開館10周年記念講演会の日だ。

「え? 礒多をテーマにした講演会なんかあったの? 知ってたら参加したのに!」

という方も世界に3人くらいおられるかもしれないが、

今回はコロナ対策で一部の関係者のみの招待制になった。とても悔やまれる。

 

わたしは本当なら昨日の中原中也賞授賞式や空の下朗読会に参加しているはずだったのだが、

仕事の都合で無理じゃった。とても悔やまれる。

湯田温泉には泊まったけれども。とてもいいお湯だった。

 

昨夜、慣れないホテルの剃刀で髭を剃って地味に出血したり、

今朝は寝癖をなおそうとした結果、ヘアスタイル迷子になったりしたが、

どうにか会場のクリエイティブスペース赤れんがに到着した。

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礒多を読む会の会員で設営に取り掛かったら思いの外早く準備が整った。

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講演は現代詩作家、書評家、随筆家の荒川洋治先生である。

演題は「嘉村礒多の世界」どんな内容になるのか全く謎だった。

私は礒多を読む会代表として司会を担当した。

 

で、講演の内容なんですが、

とても面白かったんですよね。

ええ。

礒多の小説の特徴というか良さは説明がしにくいという話から始まって、

ではなんで説明が難しいのかという話になり、

国木田独歩と比較してみたり、世界の文学を軽くさらって礒多が死ぬ時期、

戦前の文学のこととか、まあ、講演の魅力の説明も難しいのだが。

話し方の変化だったり、話題の持って行き方だったり、

ああ、この人は本当に文学が好きなんじゃという感じがぶち伝わってきて、

司会を担当していることを忘れていた(笑)

 

講演終了後、荒川先生を多田美千代先生と共に礒多の生家「帰郷庵」とお墓、

『神前結婚』の舞台になった妙見社に案内した。

まるで原田宗典の『小林秀雄先生来る』とカズオイシグロ充たされざる者』を

足して2で割ったみたいだと思いながらプリウスを走らせた。

ものすごく緊張していた。

講演会と案内を無事終えてほっとしている。

 

謝辞

コロナで大変な時期にも関わらず今回の提案に対応して講演会開催まで漕ぎ着けてくださった山口市役所の方々と、

講演会に出席してくださった皆様に感謝します。ありがとうございました。

礒多を読む会の会員の皆様もあれやこれやの準備と雑務、お疲れ様でした。

 

そして私はほっとしている。

ほんたうにほつとしている。

 

追記

小林秀雄先生来る』と『充たされざる者』は両方、偉い人が講演をしにくるみたいなストーリーで、どちらもちょっとフィクションっぽさが強い。

 

幸い辛うじて

37歳になった。

終わってるな、と思う。

誕生日は大体ネガティヴだ。(クリスマスと年末も)

思い通りに過ごせなかったから、またひとつ歳をとっただけだと嘆く。

思い通りに過ごせた1年なんてあったか?

 

2年前は腸閉塞で入院していて、検査をして大変だった。

1年前は、嗚呼、仕事が踏んだり蹴ったりだった。

それでも詩集を作ったのだからよくわからない。

あまり体調も良くなかったはずだが。

そう考えるとよく生きてるなとは思う。

 

赤い公園というバンドのギターが亡くなったというニュース。

キャロル&チューズデイという音楽をテーマにしたアニメの

「Round & Laundry

という曲が好きでそれを作った人だったから結構ショックだ。

赤い公園というバンドについては何も知らない。

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仕事からの帰り道、ずっと「Round & Laundry」を流しっぱなしにした。

やっぱり素晴らしい曲だ。

最高にハッピーになれる曲だ。

 

家に着く頃には何かが解決したような気分になっている。

何も解決していないのだが。

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左手の中指を怪我して3週間になる。

ギターが弾けない。とはいえ怪我をするまで弾きたいなんて思わなかった。

できなくなってから、むしろやりたくなったりする。

そういうものだ。入院してから「あれもこれも」ってなってた。

 

37歳。

感覚としては高校3年くらいで止まってる。

生活のリズムがその頃から一切変わってない。

精神年齢は中学2年くらいで止まってる(エヴァ世代)。

生活の革命を起こそうと、ひとり暮らしをしようとしていたときに、入院したんだった。

あれがもう2年前か。

37歳、嘉村礒多が死んだ年齢だな。

幸い辛うじてまだ生きている。

 

(内容が暗すぎやしませんかね?)

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(ケーキ食べたよ!ケーキ🍰)

恵み・死・ぬいぐるみ

 先週は山口県でも結構雨が降って、我が家の山が少し崩れそうだったので父と弟と3人で崩れそうな部分をシャベルで落として、土嚢袋に詰めて並べた。

 結果、とても疲れて昼寝してしまい生活リズムが狂ったまま月曜日が始まりグダグダな日々を過ごす羽目になった。主に下痢気味だった。

 

 橋本治の『小林秀雄の恵み』を読んだのはもうずっと前のことになるが(4月16日)、今もなお魚の小骨が喉に引っかかっているような感じで気になっている。

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 前月の山陽小野田市立図書館であったブックカフェで『小林秀雄の恵み』を紹介したがうまくいかなかった。原因は私がまだうまいことこの本を理解できていないからだ。内容を要約すると「やりたいことをやりたいようにやる」でそこに他人からの批評を反映するかしないかみたいな問題が絡んでくる的な……。

 

 『急に具合が悪くなる』を読み「死」について考えていた。

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 哲学者・宮野真生子と人類学者・磯野真穂の往復書簡だ。基礎疾患がある人もない人だって急に具合が悪くなることがある。命や出会いや偶然について、わかりやすく解説し、深く抉ってくる一冊だった。

 実は少し前、4月の終わりくらいからぼんやりとは考えていた。知り合いが亡くなったからだ。

 知り合いとか家族とかの死とどう向き合いどのように折り合いをつけていけばいいのか?

 2年前に飼っていた黒柴のモモ(♀)が死んだ。祖母が亡くなった日の朝も私がニートだったときもよく散歩に行った。散歩というか、まあよく走る犬だった。

 モモが亡くなった日に家に帰るとすでに姿がなく、両親があまりにつらいからもう埋葬したと言った。両親の気持ちはわかったが、死に立ち会えなかったため実感がなかった。ただ、外の犬小屋から黒い生き物がのっそりと出てくるようすを思い出していた。

 その翌日に腸炎で入院したので、モモが死んだという実感は余計に沸かなかった。家に帰ればモモちゃんが居る、という感覚が離れなかった。

 死に立ち会えなかったり、葬式がなかったりすると喪失を抱えたまま過ごすことになるのだとわかった。 

 先週(山での作業の前日)本屋のワゴンに柴犬のぬいぐるみが沢山あって、思わす手のひらサイズの黒柴のを買ってしまった。

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 例え車までの短い数歩の距離でも、本と犬のぬいぐるみを持っているというのが気恥ずかしくてビニール袋に入れてもらった(有料)。顔が大きくて可愛いと思うのだが母には不評で、父はそろそろ次の犬を飼おうかと言いだし母が止めた。

 昔、妹がまだ働き始めたばかり頃(たぶん11年前)に、仕事先の後輩がちょっとした体調不良とか絶対に仮病だろって理由で休むから困ると愚痴っていた。ある日その後輩が「飼っていた猫が死んだので休みます」と電話をかけてきたという。

 当時は「猫が死んだくらいで休むな」という愚痴は頷ける内容だったが、今は休んでも仕方ないなと思う。時代がかわったし、私の認識もかわった。

 

 明日はポエムカフェがあるので詩を書こうと思う。

 コロナで自粛中には何か書くという気分になれなかった。詩にせよ何にせよコロナのことから離れられないのがわかっていたから、書けないというよりは意図して書かなかった。今はもうコロナがあることが普通になったのでそこまでの影響は受けないだろう。いや、別に影響を受けたっていいけど(コロナに絡めたサビだけの曲は作ったりした)。

 ブックカフェもあるから最近読んだ本を紹介しよう。何にするかな。

 

 嘉村礒多についても考えている。遺作となった『冬の午後』を読むと死の影が色濃く迫ってきている。それでも、なんとかしようとアレもコレもまだまだやりたいことがようけぇあるんじゃという気迫が伝わってくる。

 その必死さを見習いたい反面、頑張りすぎて入院した経験もあるからさじ加減が難しい。

 今週は腹が痛いながらも色々な発見が多かった。いや、腹が痛いながらも、ではなく、腹が痛かったから(急に具合が悪くなったから)発見できたのかもしれない。

 詩や小説はこういう風にやれば良いのでは? という発見があった。それだけでスラスラ書ければいいのだが。

 キーワードが必要なのだと気付く。作品と受け手を結びつけるキーワード。

 脚本家・岡田麿里が天才的にうまいやつ。まぁ、言うは易く行うは難し。

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三島由紀夫 に 間接的 に 触れる

週末はTwitterから離れることにした。

三島由紀夫についてあれこれと考えていた。

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橋本治が書いた『三島由紀夫とはなにものだったのか』をドキュメンタリー映画を観る前に読み終えようと思い頑張って寝る前に読んでいた。橋本治の文章には慣れているはずなのに、なぜだかすごく眠くなって先週はいつもより寝るのが早くなって健康になった。

理由は橋本治が本当は三島にそんなに興味なかったからだというのが、あとがきに書いてあってああ、だからかと納得した。

橋本治の本は三島の小説や戯曲などの作品のみに焦点を当てて、あの周りくどく結局何が言いたいのかよくわからないゴテゴテした装飾を取り除いていく。三島が作品で何をやりたかったのかが少しづつ明らかになっていく。

ドキュメンタリー映画三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実』では1969年5月13日東大駒場キャンパスで行われた討論会を所々解説を挟みながら三島が何を語ったのかについて、小難しい専門用語がわからなくてもギリギリついていける内容になっていた。

家に帰ってから、たまたま父親が録画していたNHKの「アナザーストーリー」を見た。これは主に切腹自決についての内容だった。映画にも出演していた人たちがまた出てきてインタビューを受けていた。

作品、発言、行動に間接的に触れてみて感じたのは、三島が考えていたことは概ね理解できたし自殺しないといけなかったのもなんとなくわかった。

昔のなんかすごかった文学者がよくわからん死に方をしたということしか知らなかったので大きな一歩だと思う。

あのタイミングで死を選んだのは必然だったのだろう。というか、拡声器すら持ってない時点で演説で説得する気なんかなかったんじゃないか。

三島が感じ取っていた日本の(三島からしたら嫌な)変化に耐えきれなかったと思う。結果的に彼が考えていた通りの日本になったわけだし。

で、50年後の私がどう思いどう考えるか、という話になるわけだ。

あまり関係ないところから話すと、映画のナレーションをしたのが東出昌大で、会見をしたのはこの映画のPRのためだったらしいのだが、不倫してたからうんぬんで映画のPRには全くなってなくて面白かった。

社会や政治の在り方について深く考えたり映画をじっくり作ったりすることよりも、有名人の不倫とかの方が多くの人にくだらないと思われつつも広がってしまう。それは今も昔も同じで、おそらくはあの頃の三島作品を橋本治並みにそこに書かれていることのみで汲み取ろうとした人はいなかったのではないかと。どうしても表面的な、体を鍛えているとか、自衛隊体験入隊したとかそういうイメージのみがおそらくは当時も先行していたのではないかと思う。

私はこれから三島作品に触れようとは思わないが(思わんのかい!)一人の文学者が真摯にいろんなものと向き合った事実があったということをなるベく忘れんようにしたい。

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桜は「今年は花見客が少なくて困る」なんて思ってないだろうな。

 

 

 

「迷い」について本気出さず考えてみた

今月の哲学カフェは中止となった。

テーマは「迷いとは何か?」だった。

かなりタイムリーなお題である。

まさに今、多くの人々が「迷い」に直面しているであろう。

イベントを開催するか中止にするか、どこまでの外出が世間的に許されるのか、トイレットペーパーを買うか、もしくは買い占めるのか。

「迷い」というより「悩み」の方が適切だろうか?

迷いと聞いて最初に思い浮かべたのが八九寺真宵化物語)なのがツライ。

そしてどんなキャラでどんなストーリーだったか詳しく思い出せないのもツライ。

 

昨年の今頃は虫垂炎で入院していた(いつの間にかピエール瀧が逮捕されていた)。

そのときに、手術するか薬で抑えるか医者に聞かれてあまり迷うことなく手術を選んだ。だってものすごく痛かったからこの痛みがまたあるかもしれないという恐怖に耐えられなかった。

 

迷いの前には選択肢がある。AかBか。

ずっと前にテレビで見たシーナアイエンガーという先生が選択肢が多すぎると人は混乱してしまうというようなことを言っていた。つまり、31種類アイスがあるよりも定番の5種類くらいの方が売上が伸びるとか。いや、ジャムだったかな?

 

もしも哲学カフェがあったなら「迷い」をポジティヴに捉えるかネガティヴに捉えるかという問いが司会を務める哲学者・小川仁志先生から出されたと予想する。

私は「迷い」を決してポジティヴには感じることはできない。そんなものはない方が良いに決まっている。というか、迷わないときはおそらく自分が冴えているときだと思う。

「迷い」と「迷う」はうまく説明できないが、違うものとして捉えるべきかもしれない。

となるとテーマが「迷い」の方になったのはなぜだろうか?(そんなに深い意味はなかったりして)

 

今週はいつ髪を切りに行くかで悩んでいた、これも迷いだろうか?

土曜にするか日曜にするか、いやどっちでもいいんだけど。

本を買うにしても電子書籍にするか、紙の本にするか。もう本棚から溢れているぞ、しかしこれはいい本だったから紙の本も買っておこうなどというアホなことを少なくとも3回はやっている。でも、好きなアーティストの楽曲の先行配信は頑なにダウンロードせずにCDが出るまで待つ、なぁ。

迷い、あるいは迷うことの内容に対する興味の有無によっても変わってくる。

肉か魚か(飯)。海か山か川か(夏のキャンプ)、ハイヒールかロンドンブーツか(靴かお笑いコンビか)、ホワイトデーのお返しは何が正解なのか?(義理チョコのお返し難易度高くね?)明日は何を着て出かけようか、天気予報で気温を確認しようとしていつの間にかツイッターやってるパターン。迷いよりも自然に根付いてしまっている習慣の方をなんとかするべきかもしれない。

 

あなたにとって、「迷い」とは何でしょうか?

 

PS・今年の年末には「あーコロナってあれ今年のことかー、懐かしい」になってることを祈っている。

ポエムカフェと『月に吠えらんねえ』ファントークに行ったんですいね。

12月15日

 山陽小野田市立中央図書館にて毎月開催されているポエムカフェに参加した。私はだいたい新作の詩を持って発表するようにしている。

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 今回は参加人数が少なかったのが残念だった。参加者数に波がある。今は凪。それはそれで一つの詩について深く話せるというメリットもあるが。

 自作の詩でなくても、好きな詩や短歌、俳句の紹介などでも良いのでもうちょい参加者がいるとありがたい。

 一足早いクリスマスプレゼントとして自費出版した詩集を配布した。

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そもそも、月一回のこの集まりがなければこの詩集もなかったのだ。

概ね好評というか、ここで発表した詩がたくさん入っているから、やっとアルバムが出たんですね、的な嬉しさだと思われる。喜んでいただけたようで一安心。

 

 いつもは行く昼食のお誘いをお断りし、山口市立中央図書館へ向かう。

 

 中原中也記念館では、今『清家雪子展-「月に吠えらんねえ」の世界-』をやっていて、その関連イベントが図書館で行われた。

 ファントーク チューヤ編。

 山口県に住んでいながら山口市の図書館には初めて行った。県立図書館はよく行く。

スタバもあるし、公園で親子が遊んでいるし、建物はガラス張りだし、局地的におしゃれである。図書館職員の案内に従い会場となる部屋へむかう。

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早朝は必須だったコートを車に置いてきて正解だった。今日は暑い。

 一度とある読書会に参加し、失敗したことがあったので大きな不安を抱えたままの参加であった。

はたしてファントークはどういうやりかたで、誰がどのようにやっていくのか?

「月吠え」チューヤくんのみで1時間30分もつのか?

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 各自にシールの名札と清家展ファントーク質問メモが配られた。

 

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 これを軸に中也記念館の館長・中原さん(中也との血縁関係なし)が進行していくスタイル。

 終始空気が重い。一体何があれほど空気を重く、雰囲気を堅くしていたのか? 文ストのほうの中原中也がいるのではないかというくらいである(重力系の異能力)。

 以下、私がとったメモから抜粋。

 チューヤくんの好きなところとして、姿や、顔などわかりやすい外見から紹介される。確かに帽子やマントがないというのは珍しいかもしれない。髪の毛も白いし。三白眼が好きだという意見もあった。わかりみ。

 盗んだバイクで走るシーンなどから尾崎豊との類似の話へ。私はなぜか尾崎豊の息子が歌うカバーを思い出す(歌声がめちゃくちゃ似ている)。

 

 2巻にはチューヤくんメインの話がありそこについても意見が飛び交う。

 元カノとのやりとり、実際の長谷川泰子との違い、朔くんとのシーン(風花)、朔くんとの共通点。メインストーリーに絡まないがモブキャラとしてほどよさ。

 

子供(朔)の面倒をよくみるところから、息子、文也や泰子の子供の面倒をみてあげた話などへ。

 最後は中原中也が (シカク)街の神だったときはどういう世界だったのか? について思いをはせる。

 一夫多妻制、公用語が外国語、子供の世界、カオスな世界、ありえる。

 人を引きつけるけど、近くなりすぎるとぶつかり合い、会わなくなる。最後は一人になる。そして、中也しか居なくなった、ありえる。

 周りはきちんとしているが、中也だけがダダイズム的なカオス。ありうる。

 そもそも、登場人物が人のカタチなのか? 確かに、鰯の可能性もある。

 街、と他の街とのありかたも違ってくるのではないか? などなど。

 それから、戦争と詩の関わり。

 詩人以外の仕事について(評論、翻訳)、どの活動に重きをおくかがキャラクターに反映されている。トーソンはなぜ街? あっ、なんでだろ? 

 賢治、中也、朔太郎、の透明感が似ている、透明な悲しみ(哀しみ)。自分の中に入っていくのに、外に伝播していくタイプの。わかりみ。

 天気屋の2人も神だったらしい。俳句の人たちが神だった時代もあったのでなはいか。天気屋、そうだったか。いかん、部分的に忘れている。

 中原館長より、チューヤくんがピストルを打つシーンに関連した、中也と空気銃のお話。中也が持っていたおもちゃの空気銃はがあったらしい。空気銃はないが、玉が入った缶がある。錆びていて開かない。もうそれだけで詩になりそう。

 『月吠え』のなかでビール瓶で殴るシーンがあるが、本当に殴ったことがあるとのこと。……ただのヤバい奴やないか。

 

 中原館長「それでは最後にまだ今日、話されていないそちらの方、どうぞ」

 おもむろに私の後ろに座っていた人が、話し始める。

 

清家雪子です」

 

……は?

 

会場から湧き上がる悲鳴に似た歓喜の声。泣きそうになる人。

何か失礼なことを言ってなかったかなと焦る私。汗が出る。窓の近くで日射しがブラインド越しに汗を押し出す。

 

 ああ、今日は良い天気だ

 

 ここからは、ファントークではなく作者本人による解説となる。

 ただ、私は動揺してしまい、ここからきちんとメモをとっていない。

 

 余裕で1時間30分を過ぎて終了。その後も館長への質問などが飛び交うなか、

 

 清家(神)「サインとか全然しますよ」

 

急遽サイン会開催。

咽喉が鳴ります牡蠣殻と

サインの列に並んでいるときにそこかしこで会話が弾んでいた。

前半の固い雰囲気は何処へ?

ちなみに県外からの参加者の方が多かった。わざわざ山口県までようこそ。

 

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 私も詩を書く者の端くれとして、戦争詩という負の面があったという歴史を知っているということはたぶん大きい。

「月吠え」は、その見たくない部分に果敢に挑んだ価値ある作品であると思う。

そういう作品に出会えたことに感謝。教えてくれた友人に感謝。ありがとう。

 

 ぼんやりしたまま、中也記念館に展示を見に行く(行ってなかったんかい!)

 途中で詩が浮かんだので慌ててメモをとる。

 本物っぽいサンタクロースとすれ違う。

 山口市はいまクリスマス市だからまあそういうこともある。

 

 中也記念館にはサインが展示してあった。

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清家雪子展はきちんと「月吠え」を読みたくなる内容になっていた。とおもう。チューヤくんメインのスピンオフ作品「夕焼け」は大きいパネルで見た方が良さが1.5倍になる(ネット上で公開されているのでぜひ読んでほしい)。

 

 グッズを買って帰る(栞買うの忘れた)。

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中原中也記念館と清家雪子(神)に感謝。

 

PS.(雑感を何かの選手のインタビュー風にまとめてみた)

「そうですね、前半ちょっと重い空気だったんですけど、徐々に対応できたのではないかなと思います。あの空気の中で発言するっていうのはとても勇気がいることなんですけど、ある程度、爪痕は残せたんじゃないかなと。もう少し早いタイミングで場を和ますような発言ができれば、良かったかもしれないですね。

まあ、最後の展開はちょっと想定外でしたけど(笑)嬉しかったです。事前のツイートから想定しておくべきだったかもしれません。

また、3月にも「月吠えファントーク 朔 その他のキャラクター篇」があるんでそれに向けてコンディションを整えていきたいなと、自分のできることをやって、いい状態で挑みたいです。ありがとうございました。」