三島由紀夫 に 間接的 に 触れる

週末はTwitterから離れることにした。

三島由紀夫についてあれこれと考えていた。

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橋本治が書いた『三島由紀夫とはなにものだったのか』をドキュメンタリー映画を観る前に読み終えようと思い頑張って寝る前に読んでいた。橋本治の文章には慣れているはずなのに、なぜだかすごく眠くなって先週はいつもより寝るのが早くなって健康になった。

理由は橋本治が本当は三島にそんなに興味なかったからだというのが、あとがきに書いてあってああ、だからかと納得した。

橋本治の本は三島の小説や戯曲などの作品のみに焦点を当てて、あの周りくどく結局何が言いたいのかよくわからないゴテゴテした装飾を取り除いていく。三島が作品で何をやりたかったのかが少しづつ明らかになっていく。

ドキュメンタリー映画三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実』では1969年5月13日東大駒場キャンパスで行われた討論会を所々解説を挟みながら三島が何を語ったのかについて、小難しい専門用語がわからなくてもギリギリついていける内容になっていた。

家に帰ってから、たまたま父親が録画していたNHKの「アナザーストーリー」を見た。これは主に切腹自決についての内容だった。映画にも出演していた人たちがまた出てきてインタビューを受けていた。

作品、発言、行動に間接的に触れてみて感じたのは、三島が考えていたことは概ね理解できたし自殺しないといけなかったのもなんとなくわかった。

昔のなんかすごかった文学者がよくわからん死に方をしたということしか知らなかったので大きな一歩だと思う。

あのタイミングで死を選んだのは必然だったのだろう。というか、拡声器すら持ってない時点で演説で説得する気なんかなかったんじゃないか。

三島が感じ取っていた日本の(三島からしたら嫌な)変化に耐えきれなかったと思う。結果的に彼が考えていた通りの日本になったわけだし。

で、50年後の私がどう思いどう考えるか、という話になるわけだ。

あまり関係ないところから話すと、映画のナレーションをしたのが東出昌大で、会見をしたのはこの映画のPRのためだったらしいのだが、不倫してたからうんぬんで映画のPRには全くなってなくて面白かった。

社会や政治の在り方について深く考えたり映画をじっくり作ったりすることよりも、有名人の不倫とかの方が多くの人にくだらないと思われつつも広がってしまう。それは今も昔も同じで、おそらくはあの頃の三島作品を橋本治並みにそこに書かれていることのみで汲み取ろうとした人はいなかったのではないかと。どうしても表面的な、体を鍛えているとか、自衛隊体験入隊したとかそういうイメージのみがおそらくは当時も先行していたのではないかと思う。

私はこれから三島作品に触れようとは思わないが(思わんのかい!)一人の文学者が真摯にいろんなものと向き合った事実があったということをなるベく忘れんようにしたい。

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桜は「今年は花見客が少なくて困る」なんて思ってないだろうな。