あなたの文学には何が必須?『Brilliant Failure』
「Brilliant Failure(ブリリアント フェイラー)」
私が最初に触れたラウシズム作品である。
後書きにて著者自身のエピソードは語られているので、きちんと最後まで読むとすっきりできる一冊。
タイトルが全部英語なのが、私泣かせだが、どうにか乗り越えたい。
9作の短編が収められておりどれもなかなか読ませる。ようできちょる。けれどそれはあくまで私だけの感想だ。
『Out of Time』
ーー問題は自分の人生の外部に、他人の人生が何億通りもの配色で散らばっているという事実なのだ。都市部の満員電車に乗り込むと松永は時々気分が悪くなるーー
零細出版社の社員である松永が、数年前の同窓会で地元に帰り、久しぶりに再会したさほど仲良くもなかった高見さんとの会話を回想する。
作中で紡がれるのは、些細なしかし登場人物それぞれにとっては割と重大な絶望と行き止まり感だ。
私は大学に行ってないし、同窓会にも出てないから、この話に関しては「あるある」は一切なく、ほとんどファンタジーとして読んだ希有な読者かもしれない。
しかし、大学で県外に出て、たまに帰って来た地元の呑みの席で、ついうっかり弾けすぎたり、たいして仲良くなかった人に、割とぶっちゃけた話をしてしまう感じはわかる。仲良くなかったから逆に話せるというかね。
公園の障害者用トイレという場所の使い方がうめぇなぁと感心した。
働き出せば、松永が感じる「人生的な孤独」とは無縁では居られないだろう。
ーー人生的な孤独だ、と松永は漠然と考える。自分が首を巡らせて把握出来る領域より外の世界は、干渉はしても侵入は出来ない。ーー
あくまで状況を描き、登場人物の内面に過度に踏み込まないことを意識しているのがよくわかる一作目。
『Retold』
ーー秋野は自分が主演する、台本の無い物語を演じていたーー
少年(13)と少女(12)の逃避行に少し関わった秋野と関わってないがなんかむかつく飛騨とのやりとりで、逃避行の物語を創作してゆく。
メディアで報じられる悲惨なニュースの断片的な情報は、ときに無駄な想像力を発揮させられる。こういう話なんじゃないか? いや、もっと裏の事情があって、とか。
そういう、想像力を作中人物に駆使させることが、どちらかというと批判的に描かれる。
この入れ子構造を楽しめたなら、あとの話はだいたい楽しめるだろう。
(しかし、話は全然変わるけれど、腐女子の想像力ってすごいよね。たまに感心するわ)
『Vacant World』
ーーだからあいつのビーフシチューは命の味がするんよ……と小牧は付け加えたーー
高校生の浩輝は先輩の小牧から手伝いを頼まれる。何の手伝いかって? いつものやつだよ。
女の先輩・小牧が話す大阪弁が心地よい。
『Commonplace』
ーー「先送りは面倒になるだけだよ』母親の鋭い言葉がグッと脳髄に響いて、萩野は表情を歪めて視線を落としたーー
誰しもに刺さりそうな母親の言葉ではある。
『Retold』同様、突発的な同棲生活が描かれるが、なんかもうよくわかんねえな、という投げやりな気分にさせられて、その気分が主人公が抱くやつと同じ物のような気がしてくる。
『Vomit』
ーー担任達はマニュアル通り「お亡くなりになられた」という表現を使ったが、それは「首を括られて自殺なされた」という奇妙な尊敬語を使うことが余りにも憚られたからでもあるーー
一人の女生徒の自殺から玉突き事故みたいに学校内に広がっていく影響を多面的に描写する。
群像劇に近いかもしれない。しかし、よく死ぬ。
ニュースの世界の向こう側ってこんな感じかも知れない。
『99 Luftballons』
ーー私の母親は、もう四十一歳だってのに、パートではたらいていたコンビニのアルバイトだった大学生に色目をつかわれて、だまされて、二十万とられて、それを知って逆上した父親にフライパンでなぐられて救急車で病院にはこばれていったーー
段落がほとんどなく、一息でバーっと語られる少女の一人称。
著者が「しんどくなったら読み飛ばしてください」と書いているが、ここまで読めたあなたならなんてことないだろう。文フリクラスタはそこまでやわじゃない。と思う。むしろ、そういうエグい少女漫画的な作品が好きな人も居ると思うんだけれど。
『Fragile』
ーー「裕一はきっと殺されたんだよ」ーー
この辺で、著者を心配し始める。割と本気で。
また死ぬの?
三人の少年と一人の少女。四人組の関係性がジリジリと歪んでゆく。その過程が、むしろ心地よくなってくるまである。
あとがきにもあるが、文芸部内で評価が分かれたというのは納得。あなたはどっち派だろうか?
この小説はうまくいってる? いってない? 私の評価?
あなたが読んでからにしてくれないか。
『Apparition』
ーー本当に波の音だけなのだ。松原を走る少年も居なければ、遠くで汽笛も鳴らないし、海鳥は何処かに隠れている。電車は永遠にやってこないーー
ここだけとても平和である。のんびりと、海の近い駅でこの話を読みたい。
ここだけ天野こずえの「ARIA」である。
『Underneath the Sky』
ーー二重に折り畳んだ青いビニールシートを地面に敷いて、そこにペタンと座り込んで、膝の上に無造作に広げた布切れを、彼女は黙々と裁断していたーー
奇妙なボーイミーツガールである。もしも、野外で布切れを黙々と裁断する女性がいたら、優しく見守ってあげてほしい。たぶん、色々と事情があるのだ。でも、なんというか、やる気がなくなったときとか逃避のように、一つのことに没頭したくなる感じは理解できる。そういうのが理解できる人しか文フリの純文学サークルのところには来ないとは思う。
いかがだったろうか。
ここに掲載された作品群に大きな関心と期待をよせて頂けたら幸いである。
もしこの作品集を読んで何か足りないと感じるのであれば、それはあなたが理想とする文学に必要な要素だ。
文学という木を支える 文学フリマ金沢2017
金沢に行く
木を支えるように
木に寄り添うように
金沢に行ったことについて、もう少し早く何か書く予定だった。しかし、まあ、4月というのは色々と忙しい。これも毎年のことだからいい加減に慣れようと思うのだけれど。
前日の昼頃に金沢に到着。
駅の写真を撮らない程度には金沢慣れしてしまっている。
カレーを食べる。美味い。サラダ合うわぁ。
そして石川四高記念交流館と石川近代文学館へ。
昨年は時間切れで買えなかった広津里香の詩集などをゲット。ほぼ満足。
広津里香まじカッコイイっす。
ふらふらと歩く。
風が強い。
— ヴィリジアン@文フリ東京【A-17】 (@Naka24Viridian) 2017年4月15日
度々、桜の花びらが激突してくる。 pic.twitter.com/bBnTqRI1SL
桜が舞う。
明日は文学フリマ金沢です。
— ヴィリジアン@文フリ東京【A-17】 (@Naka24Viridian) 2017年4月15日
【あー3】にて、嘉村礒多の選集を持って待ってます。
徳田秋聲いわく
「きみ、嘉村と言うひとはバカ丁寧な人だね。ああ丁寧だと気味が悪いね」
だそうです。#bunfree #文フリ金沢 pic.twitter.com/OBZbg2AQkN
夜はカツ丼とそばを食べる。昨年も同じ店で食べた。ちなみに昼食のカレーも。
昨年は夜遅くに来て、店員がくそ不機嫌だった。今年は店員がバイト初日の人で、店長が教えながらだった。
タワレコとか本屋にも行く。金沢は都会。
早めにホテルチェックインして、あれこれ準備。ここで準備って遅くね?
毎度のことさ。
翌日、設営の手伝いがないので、ホテルの朝食を食べてからぎりぎりまで準備。
とてもいい天気だ。
開始後ちらほらと一般参加の人がやってくる感じ。嘉村礒多のチラシを配る。
第三回文学フリマ金沢始まりました。
— ヴィリジアン@文フリ東京【A-17】 (@Naka24Viridian) 2017年4月16日
【あー3】にてお待ちしております。#bunfree #文フリ金沢 pic.twitter.com/2PkbBvAjtk
かなり早い段階で見切りをつけて、海鮮丼を食べに行く。
ヤベェよ。
— ヴィリジアン@文フリ東京【A-17】 (@Naka24Viridian) 2017年4月16日
どこ食べても美味いやつです。
これで当分がんばれる! pic.twitter.com/ieJKTdazJi
喫茶メルト最高かよ。
本部横の喫茶メルトにて紅茶とワッフル(チョコ)です。
— ヴィリジアン@文フリ東京【A-17】 (@Naka24Viridian) 2017年4月16日
うめぇ。できたてホヤホヤを温かいうちにどうぞ。#bunfree #文フリ金沢 pic.twitter.com/BzAeUqFnDi
昨年は諦めたトークセッションに参加。
金沢の文学者たちがどのように金沢を描いているか、という話。故郷というテーマは今の自分にとってかなり重要。在郷時代の嘉村礒多作品についてあれこれ書く宿題を「礒多を読む会」から頂いているからだ。
ざっくり今回のセッションの内容を要約すると、長いこと金沢に住んでる作家は、多面的に金沢を描く傾向にあり、少し関わった作家は幻想的な金沢を描く傾向があるとのこと。
文学は「読むこと」がいわば最終目的であり、その作家の記念館とかに行く意味を全く感じない人もいるという話は大変興味深かった。しかし、前日に見た三文豪の展示や、西村賢太の直筆原稿や、文学サロンスペースにあった嘉村礒多の作品が収録された本に私は刺激されている。
こういう環境がこれからの文学になにかしら影響を与えたということに私がすればいいのだが(ここからアニメ「少年ハリウッド」の握手を本物にするというアイドル論につながる)。
その話を聞きながら私は来年も金沢に来るだろうとなんとなくそう思った。
両隣のブースの方とあれこれお話。
左の「イン・ビトロ・ガーデン」灰野密氏の装丁を見てキダサユリ作品を想起した私のカンは正しく、知り合いだった。純文学ブースは二つ。少し、いやかなり寂しい。
右隣のサークル「That's right」曽野十瓜氏の「アマヤドリズム」には金沢弁が登場とのこと。そういうのに弱いっす。
本を買っても読まない病に罹患しているので購入は控えめに。
毎年打ち上げに参加したいが、帰らなければならない。
来年も金沢に来よう。島田清次郎との戦いの成果を引っさげて。
文学という木を支える雪つりの縄になりたい。
『Fragments』by Lousism「文学とエンタメの狭間を揺蕩う」
純文学サークルLousism(ラウシズム)と初めて会ったのはいつだったか?
何回目かの文フリ大阪でたまたま隣のブースになった。
あのときの文学フリマ大阪は楽しかったなぁ(遠い目)。
Lousism(ラウシズム)は日谷秋三による個人文芸サークルである。
どうでもいいことだが、文学フリマでいつも思うことは、小説を書く能力と自分の書いた小説の良さを説明する能力は別物だということだ。
ラウシズムの小説の良さは、なんとも説明し難い。著者本人ともなればますます大変だろう。
『Fragments(フラグメンツ)』から語ってゆこう。
大学の文芸部時代の作品集には日谷氏の根本が詰まっている。
荒削りだがひょっとすると凄いんじゃないかと思わせる何かが詰まっている。何かはよくわからない。
他の本もそうだが人がよく死ぬ。よく死体が登場する。
私は何か過去に知り合いでも死んだのかと不安になった程である。そう思わせる程には作品にリアリティがあるということだ。
17作の短編が納められているので、全てとはいかないが気になった作品のみピックアップしてその魅力を紹介したい。
『鴉』では主人公・了平が鴉と会話する場面をさらりと淡々と描く。この話にするっと入って行ければラウシズム第一関門は突破したといえるだろう。
ーー鴉が黒いのは、血だまりの中に頭を突っ込んでも汚れないためなんだな、と了平は思ったーー
『ゆずレモンサイダーの夜』では日常と非日常の狭間に空のペットボトルというありふれたアイテムが効果的に使われる。ジンジャエール以外の炭酸飲料がさほど好きでない私にゆずレモンサイダーをうっかり購入させるだけの力はある。
ーー彼女を殺した瞬間から、江口はやってみたいことがあったーー
彼の作品には「蟀谷(こめかみ)」という漢字がよく出る。私は最初読めなかった。だからあなたも読めなくても安心してほしい。
彼の作品に触れると、なんだかアフタヌーンの漫画を小説で読んでいるような錯覚に陥る。好きなものが自然と滲みでるのが創作だ。つまりアフタヌーン的な漫画が好きな方にはストライクだと思われる。たぶん。
『西端にて』は完全にどこか異国のおっさんの一人語りだ。海外小説へのリスペクトが感じられる(なんとなくガルシアマルケス)。
『Fragments』は設定が、現代、近未来、異国とあちこち飛ぶ。だが、一貫しているのは常に「生と死」に強く引き寄せられた物語を描いているところだ。
「生と死」の価値が、設定された舞台によってコロコロ変化し、その都度あえて不謹慎な状況を作り出すことで、こちらに倫理(現代に住む私の日常の)を問うているように思う。
日常が破壊された後の新たな日常に設定される倫理を私は練習させられた。
ーーここから西には何も無いんだーー
『水色の街』は退廃的な滅び行く近未来を描いた一編。水に沈みゆく街の末期的な状況を主人公ケンジの目が絶望的になぞる。
ーー集会場の渡り廊下から橋が四方八方に伸びているこの街を見遣ると、まるで蜘蛛の巣の中心にでもいるような気分になったりする。この瞬間にケンジが軽く飛び跳ねれば、蜘蛛の巣全体が激しく揺れて、硬く膠着してしまった蜘蛛の糸は次々に破れて海に落下して、この街は簡単に滅んでしまうのかもしれないーー
『窒息日和』と『海辺』は状況は違えど流れはほぼ同一である。
『窒息日和』は駅のホーム。『海辺』は波打ち際。共に男女の短い出会いが描かれるが、どのように同じなのかは、ぜひ読んで確かめていただきたい。
「死」に対して冷淡でいたい感覚。「死」に感情を揺さぶられるのだとしたら、それまでの「生」の物語を知らなければならない。
結果として突発的にーーあるいは「郵便的」に(by東浩紀)ーー出会った「生」に対しても冷淡に振る舞ってしまう。それぞれの主人公が優先するべきは「読みかけの本」や、自分が入り波に揺蕩うための「木箱」になる。
ーー僕は表情に現れないように苦慮しながら、騒がしい連中は全員、ベッタァッっとした晴天に頭を突っ込んで窒息死しちまえばいいのにと物騒なことを心の底で考えていた。ーー『窒息日和』
ーー「僕も散歩ですよ。木箱と一緒に海の中に入ってね。前衛的でしょう?」ーー『海辺』
後半の三作品『鬼子』『石飛礫』『幽霊造り』を無理矢理まとめて考えたい。
『幽霊造り』は著者が「前書き」で書いているようにエンタメを意識した印象を強く受けた。メディアワークス文庫にあっても違和感のない作品である。『鬼子』も少しそちらに近いが、このあたりで、所謂「どっからラノベでどっから文学か問題」に触れてしまう。しかし『石飛礫』はなんとなく「文学」っぽいなと私は感じる。
この短編集を読んだあなたがどう感じるか私は知りたい。それは、下らないジャンル分け議論であってはならない。あなたが何処をどう面白いと感じるのか?
私は語りたいのだ。この本を読んだあなたと。そして著者本人と。
過去と最近の映像
どうも、中西です。
花粉症との戦いにやぶれました。
それはともかく。
文学フリマ金沢行きます。【あー3】です。
いい位置だな!(カミナリのツッコミ風)
いつもの嘉村礒多押しな感じです。よろしくお願いします。
少し話はかわりまして。
チェルノブイリツアー大懇親会が開催されたそうで。
今日の夜は、ゲンロンが2013年から続けているチェルノブイリツアー参加者の大同窓会。都内某所に、チェルノブイリに行ったことのある日本人が60人強集まる。こんな集会、ほかにないんじゃないかな。
— 東浩紀@ゲンロン0完成しました (@hazuma) 2017年4月8日
私が編集したツアーDVDの映像もちょっと上映したとか。
ウクライナに行ったのは2013年ですか。懐かしい。
ウクライナでの最後の夜に開かれた宴の席で、文学フリマの立ち上げに関わった市川真人さんに
という話をして、
「渋いねぇ」
と笑顔で返されたことを思い出しました。
なんやかんやあって、今もこうして活動を地味にでも続けて行けてるのはいいことだと思ってます。
もう3月の話ですが、仁保地域交流センターの「礒多を読む会」に月に一回参加していまして。
その流れでNHK山口放送局の取材を受けました。
『情報維新やまぐち』というローカルニュース番組の「ことばの物語」
という8分弱くらいの短いコーナーで、山口県ゆかりの文学者の「ことば」にまつわるエピソードを語ってええよ。
ということでしたので嘉村礒多について語りました。
そして無事放送されました。
短いコーナーでも番組を作るのは大変なことなんだなと。
取材のときにカメラとか気になって、うまく答えられなかったので不安でしたが、編集が素晴らしく、いい感じにまとまっていてホッとしました。
「礒多を読む会」は3月で一区切り。
4月からは一部のメンバーによる読書会になります。
そんなこんなで文学フリマ金沢と
【報告】
— lousism@文フリ東京A-18 (@lousism) 2017年4月8日
第二十四回文学フリマ東京のブースが確定しました。ブースA-18です。取り敢えず既刊本と、あと追加で何か持っていけたらとは思っているのですがまだ分かりません。もう少し頑張ってみます。因みにお隣A-17はいつもお世話になっているヴィリジアン・ヴィガンさんです。どうぞ宜しく。
よろしくお願いします。
第1回文学フリマ京都 当日編
1月22日(日)。寝過ぎた。
順調に遅刻しております!
— ヴィリジアン/中西 (@Naka24Viridian) 2017年1月22日
会場に到着。準備! 準備!
結果としましては、思っていた以上に多くの方に手にとって頂けました。
おまけのペーパーがなくなるところだった。
嘉村礒多の一冊目が人気でした。
「ここで買わないと読めないだろうなあ」というおじさまから、
「たまたま京都に旅行に来てました」という山口県在住の方まで。
(山口県内での購入方法を考えねばならぬ)
たいして頑張ってないのでなんかすまんという感じです。
持ってきた多田先生の本を配りきる。
個人的にはこっちはお金をもらうべきではないかと思うのだが、「礒多に興味のある方に差し上げてください」とありがたく頂いたものですからね。私の選集を手に取った人というのは間違いなく礒多に興味があるわけで。読んでくれるとええなあ。
新刊の詩集はまあお察しください。
直前まで持っていけるかわからなかったからね。
カニエ・ナハ氏のような無茶を素人はやってはいけませんね。
ゆとりを持って取り組みたい。マジで。
昼食は事前にコンビニでおにぎり(梅、シーチキン)とパンを買っておいたので食べる。
食べると知り合いがブースに来るのはなんなんだろうね。
あ、文フリ福岡の代表森本さんじゃないですかモグモグ。
え? 「おそ松さん」の感想本だしてるんですか? モグモグ。
「おそ松さん」観てないけど買うわ。ってか文フリ福岡にあった「少年ハリウッド全話レビュー」の影響もろに受けとる!
(福岡文フリのブログも書いてないなぁ、書かないとなぁ。できてなくてサーセン)
猿川氏に「ピュルイー」という謎の言語について尋ねる。
意味のないオノマトペに弱いどうも僕です。
ピュルイー(ぴゅるいー): イングル語。自分が今書いている話のネタバレを仲間内にすること。執筆中の作品内容を話さないようにと猿川に言われた新城がとっさに発した奇声「ピュルイー!!!」がもとである。
— 新城理 (@gwynt2311) 2017年1月22日
意味ありました。
前日に島田清次郎の本を買ったのが財布に響いております。
今回の文フリでの購入は控えめでした。
立ち寄るのを堪えた(もしくは忘れてしもうた)サークルも幾つかありました。
(からあげだろうよ、についてツッコミに行きたかった)
新刊を買う前に部屋にある本を読まねばならぬ。
精神と時の部屋に行きたい。
文学フリマ京都では、さまざまなイベントもおこなわれていたので、1人サークルじゃなければなぁと悔しかったですね。哲学のイベント面白そうだった。
一般参加の人が企画イベントのついでに文学フリマに来る、というのはあるかもしれないですね。問題はサークル参加者もイベント行きてぇ、となることです。
主催する側は悩ましいと思います。
撤収作業へ。
なんだかいつにも増してバタバタしてました。
購入した本や島清の全集を段ボールにつめて。
あっ、自分のブースの写真を撮るのを忘れてました。
懇親会までラウシズム日谷氏、fulidom古井氏と今回の文フリの売れ行きや地方と東京での違いなどを話す。
懇親会の会場に行く途中は、くるりの出身地と椎名林檎の出身地等に想いをはせる。
文フリ懇親会あるある。
「東京での懇親会のときはカレー王が頼りになる」とかどんだけマニアックな情報なんだよ! 何るるぶに掲載されてる情報なんだよ!
私はぼんやりとアニメ「有頂天家族」を思い出していた。
2期に期待しているどうも僕です。
懇親会ではラウシズム日谷氏に小説の感想を伝える。
彼の小説の感想も書いてないなぁ。ネタバレしないのは難しいなあ。
まず、ミステリー小説並みに人が死にます。
奇跡的にうまくいってる小説とそうじゃない小説に差があります。
「この小説には神が降りてきている」ちゅう話になって、段々熱くなって「もっと(神を)おろせよ!」とか出産に反対する男みたいな発言をしていました。
純文学の定義とかもう絶対泥沼にしかならんからとりあえずさやわか著『文学の読み方』を読んでからにしようぜ。
そうなんだよ。錯覚なんだよねぇ。
あとは流通。デザインや表紙。文芸格差(環境)などについて話す。
山口まで帰らないといけんから時間が限られていて、話すことをメモに書きつつ話し終えたら消すというやり方が正解だった。とてもしっくりきた。
後ろ髪引かれつつ途中で離脱。さらば京都!
総括としましては。
奇跡的にうまくいってる小説なり詩を生み出すには書き続けるしかないということ。
自分にとって文学(嘉村礒多や文学フリマ)の正確な優先順位がわかった。
というのが大きかったです。
ブースに来て頂いた方々、仲良くしてくださったサークル参加者の皆さん、文学フリマ京都のスタッフに感謝します。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
第1回文学フリマ京都 前日編
1月20日(金)はぎりぎりまで準備する。
旅の支度と文学フリマに向けてのあれやこれや。
毎回「次回こそは余裕を持って事にあたろう」と思うのですが、思うだけだ。
1月21日(土)
新幹線の駅まで行くのに時速30キロとかマジかよ。
雪のせいだ。スタッドレスタイヤじゃない車は積極的に端に避けてくれよ。濃霧のせいで追い越せない。
時計とにらめっこしながら焦りを押さえつける。
なんとか間に合う。
京都の町に出てきました。相変わらず訳のわからないことを言ってます(違)。
知り合いに勧められた三月書房という本屋さんへ。
12時からかー。よく調べとくべきだった。
本能寺や京都のタワレコで時間をつぶし、昼食はロシア料理をいただく。
「ロシア料理店・キエフ」
うめぇ! ウクライナで食べたのよりうめえ!
ボルシチ、ピロシキ(色んなものが入っていてよくわからないが美味しい)、塩辛いクリームシチューをパンにつけて食べるやつも美味しかった。
ツイッターで話題になっていた国境がない不穏な地図の謎がとけた。
ソ連があった頃に京都とキエフは姉妹都市になったそうで、
ここで提供しているのは、旧ソ連料理になるらしい。
いよいよ三月書房へ。
本のそろえ方が偏っている。大変私好みに。
哲学系の本や詩の本が充実。
吉本隆明の本が多いとは聞いてたけれどハンパねえな。
文学フリマ京都のチラシも貼ってありました。
島田清次郎の全集を買ってしもうた。
21000円なり。
『地上』のサブタイトルに漂うMTGのカード感よ。
まあ、金閣寺に比べればどうってことないよね(現実逃避)。
金閣寺にたどり着きました。鹿苑寺という名前を思い出しました。 pic.twitter.com/o1bx4w8Sgy
— ヴィリジアン/中西 (@Naka24Viridian) 2017年1月21日
若干雪が残る金閣寺は問答無用の美しさでありました。
外国人観光客が多すぎて異国感満載。金沢の兼六園もこんな感じだったな。
そして『ギアーGEAR』を観劇。
みせてもらおうかノンバーバルパフォーマンスによる最高のエンタメを!
……打ちのめされた!
圧倒的されました。こういうやり方もありだね、と。
ずっと「言葉」であれこれ考えてたから。
細かく気になったところも、後から思い出したけれど、些細な点がどうでもよくなるくらいの大きな感動があった。
人形を作っていた古びた工場での物語。
ある日、無機質に働く4体のロボット達のもとに人形がやってきてぎこちなく動き始める。人形の不思議な力によりロボット達はいきいきと動き始め、人形も影響されて。
パントマイム、ダンス、マジック、ジャグリング、バレエ。
それぞれのパフォーマンスの高さに目を奪われていたら、いつの間にか『ギア』の世界に引き込まれている。
言葉なしに伝わってくる物語にどっぷり浸かってしまった。
おすすめです。
そして宿は、BOOK AND BED TOKYO KYOUTO(東京 京都ってわかりにくいなあ)。
居心地は最高だったが文学フリマ前日に泊まるんじゃなかった。
本を読むのには最高にオシャレな空間だし、ベッドも押入に寝ていた小学生時代が懐かしくなって落ち着く。
が、文学フリマ前日はやっぱり準備したかった……。
いや、まあ茨木のり子の詩集とか読んじゃったわけだけれど。
次はただ、旅で来て本の世界で本と一緒にオシャレに眠りたい。
福岡ポエイチには行けたお話
(下書きを書いてUPするの忘れていた)
6月19日は福岡ポエイチ。
谷川俊太郎のトークイベントに行くため、朝早く福岡行きの電車に乗る。
雨が強い。
電車が駅で停まった。
でも、雨はもう降ってないから大丈夫だろ。
しかし電車は昼まで動かないと車掌さんは言う。
さらば谷川俊太郎トークショー。
でも、とにかく福岡までは行こう。
近くに住んでいる親戚に電話して徳山駅まで。
そんなこんなで、ポエイチには行けました。
いつも、田植えが忙しくて行きたくても行けなかったから嬉しかった。
会場の狭さが生み出す謎の一体感が心地よかった。
先日、詩について、唐突に理解できた日があった。
農作業の途中、昼食を買いに車で近くのコンビニに向かっているときだった。
フロントガラスに少しだけ雨粒が落ちるなか、カーステから『言の葉の庭』の曲が流れた。
大江千里が作った『Rain』を秦 基博がカバーしたやつだ。
歌詞をなぞるように口ずさむが、言葉が欠けている感じがあって、具体的に何が起こっているのかわからない。
歌詞だから、きちんと何があったかなんてわからなくてもいいが、私は気になる人間なのだ。
私は『言の葉の庭』監督・新海誠のファンで、サインをもらいに行ったりしている。作品だけでなく彼のインタビューも面白い。
言葉使いが上手すぎるというか、そんなに明確に自分の作品を語れるなら(この作品ではこういうことが表現したかったのです、的な)作品を作らなくてもいいんじゃないかというくらい上手い。
それでも、彼が映画(アニメ)を作る理由は、それなりに必然性があるはずで、つまりあの方法でしか表現できない、言語化できないものがあるからやってるのだと思う。
詩もたぶん似たようなものなんじゃないか。
詩でしか表現できないものがあるから、詩を書くのではないのか。
それは、小説のように説明的ではなく常に言葉が足りてない。
足りてない部分を補うのは読み手の想像力だ。
だから、詩によって「良い」と思うものと「わからん」と思うものの差は、
書き手と読み手のこれまでの経験の重なり具合によるのではないか。
私は詩に寛容になろうと思った。
ただ「わからん」と投げ出すんじゃなく、もうちょい言葉を吟味してみようと思えるようになった。
今年のポエイチのイベントとして、谷川俊太郎が来ることが決まったとき、すぐにコンビニでチケットを買った。
そして詩について考える時間が増えた。
チケットを手に入れることや、詩について考えることで、わかったような気がした瞬間を体験できた。
それで十分だったということだろう。
この気持ちにも「名前」が必要だろうか。
どんだけ買うのか。
なかむらあやみ
詩のイベントでまさか楽譜を買うとは。
『さかしま』とにかく表紙のモデルが美人です。
私に詩の言葉のジャンルコードが溜まるまで、あともう少しだ。