『Fragments』by Lousism「文学とエンタメの狭間を揺蕩う」
純文学サークルLousism(ラウシズム)と初めて会ったのはいつだったか?
何回目かの文フリ大阪でたまたま隣のブースになった。
あのときの文学フリマ大阪は楽しかったなぁ(遠い目)。
Lousism(ラウシズム)は日谷秋三による個人文芸サークルである。
どうでもいいことだが、文学フリマでいつも思うことは、小説を書く能力と自分の書いた小説の良さを説明する能力は別物だということだ。
ラウシズムの小説の良さは、なんとも説明し難い。著者本人ともなればますます大変だろう。
『Fragments(フラグメンツ)』から語ってゆこう。
大学の文芸部時代の作品集には日谷氏の根本が詰まっている。
荒削りだがひょっとすると凄いんじゃないかと思わせる何かが詰まっている。何かはよくわからない。
他の本もそうだが人がよく死ぬ。よく死体が登場する。
私は何か過去に知り合いでも死んだのかと不安になった程である。そう思わせる程には作品にリアリティがあるということだ。
17作の短編が納められているので、全てとはいかないが気になった作品のみピックアップしてその魅力を紹介したい。
『鴉』では主人公・了平が鴉と会話する場面をさらりと淡々と描く。この話にするっと入って行ければラウシズム第一関門は突破したといえるだろう。
ーー鴉が黒いのは、血だまりの中に頭を突っ込んでも汚れないためなんだな、と了平は思ったーー
『ゆずレモンサイダーの夜』では日常と非日常の狭間に空のペットボトルというありふれたアイテムが効果的に使われる。ジンジャエール以外の炭酸飲料がさほど好きでない私にゆずレモンサイダーをうっかり購入させるだけの力はある。
ーー彼女を殺した瞬間から、江口はやってみたいことがあったーー
彼の作品には「蟀谷(こめかみ)」という漢字がよく出る。私は最初読めなかった。だからあなたも読めなくても安心してほしい。
彼の作品に触れると、なんだかアフタヌーンの漫画を小説で読んでいるような錯覚に陥る。好きなものが自然と滲みでるのが創作だ。つまりアフタヌーン的な漫画が好きな方にはストライクだと思われる。たぶん。
『西端にて』は完全にどこか異国のおっさんの一人語りだ。海外小説へのリスペクトが感じられる(なんとなくガルシアマルケス)。
『Fragments』は設定が、現代、近未来、異国とあちこち飛ぶ。だが、一貫しているのは常に「生と死」に強く引き寄せられた物語を描いているところだ。
「生と死」の価値が、設定された舞台によってコロコロ変化し、その都度あえて不謹慎な状況を作り出すことで、こちらに倫理(現代に住む私の日常の)を問うているように思う。
日常が破壊された後の新たな日常に設定される倫理を私は練習させられた。
ーーここから西には何も無いんだーー
『水色の街』は退廃的な滅び行く近未来を描いた一編。水に沈みゆく街の末期的な状況を主人公ケンジの目が絶望的になぞる。
ーー集会場の渡り廊下から橋が四方八方に伸びているこの街を見遣ると、まるで蜘蛛の巣の中心にでもいるような気分になったりする。この瞬間にケンジが軽く飛び跳ねれば、蜘蛛の巣全体が激しく揺れて、硬く膠着してしまった蜘蛛の糸は次々に破れて海に落下して、この街は簡単に滅んでしまうのかもしれないーー
『窒息日和』と『海辺』は状況は違えど流れはほぼ同一である。
『窒息日和』は駅のホーム。『海辺』は波打ち際。共に男女の短い出会いが描かれるが、どのように同じなのかは、ぜひ読んで確かめていただきたい。
「死」に対して冷淡でいたい感覚。「死」に感情を揺さぶられるのだとしたら、それまでの「生」の物語を知らなければならない。
結果として突発的にーーあるいは「郵便的」に(by東浩紀)ーー出会った「生」に対しても冷淡に振る舞ってしまう。それぞれの主人公が優先するべきは「読みかけの本」や、自分が入り波に揺蕩うための「木箱」になる。
ーー僕は表情に現れないように苦慮しながら、騒がしい連中は全員、ベッタァッっとした晴天に頭を突っ込んで窒息死しちまえばいいのにと物騒なことを心の底で考えていた。ーー『窒息日和』
ーー「僕も散歩ですよ。木箱と一緒に海の中に入ってね。前衛的でしょう?」ーー『海辺』
後半の三作品『鬼子』『石飛礫』『幽霊造り』を無理矢理まとめて考えたい。
『幽霊造り』は著者が「前書き」で書いているようにエンタメを意識した印象を強く受けた。メディアワークス文庫にあっても違和感のない作品である。『鬼子』も少しそちらに近いが、このあたりで、所謂「どっからラノベでどっから文学か問題」に触れてしまう。しかし『石飛礫』はなんとなく「文学」っぽいなと私は感じる。
この短編集を読んだあなたがどう感じるか私は知りたい。それは、下らないジャンル分け議論であってはならない。あなたが何処をどう面白いと感じるのか?
私は語りたいのだ。この本を読んだあなたと。そして著者本人と。