中原中也生誕祭 湯けむりを雨がすり抜けていました

中原中也生誕祭でした。  

あいにくの雨。

空の下の朗読会ではなく、屋根の下の朗読会となる。

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まずは中原中也記念館にて、最終候補の6作品をざっと読む。

それぞれ方向性がバラバラで、ほとんど好みでしかないような気もする。

しかし、中原中也賞は、選評委員の好みというかわがままで選んでいい賞だとも思う。 

『する、されるユートピア』 井戸川 射子  

母の死と主体の性別さえ曖昧な感じ、宇宙と土、年齢や時間を飛び越える。  

具体的に死を乗り越えるための言葉が足りていないという認識。  

字間の狭さが、脳内の混乱を表している(?)意図した字間なのか?  

別れ(死)と出会いではなく、共有か同じ場所と時間を過ごすことが対比される。  

他人の行動で思い出す自分の過去が同期(全く同じ)ではないけれど似ていてほしいという願望。

 

『リリ毛』 小縞山 いう  

詩に小さい字と普通の大きさの字が使われている作品が半分くらいある。ルビのように見える。が、たぶん小さい字はささやく感じでイメージしてほしいということだろう。あまり効果的ではない気がする。  

一つ目のちょっとどころではなくとっつきにくい詩が続くのであればもう諦めていた。  同じ大きさの字の詩はすらすら読める。

今更だけど「リリ毛」ってなに?

「海み」「夜る」などのおくりがなの意図がわからん。

 

『fey』殿塚 友美  

クラフト紙と和綴じに箱入り、私家版で限定30部。よく作ったな。  

アイテムとして欲しい。  

内容はとてもわかりやすい。難しい言葉もなく詩も短い。  

途中に入る詩ではない「ちょっとひとこと」みたいな文章が逆にきになる。  

記憶というよりは今のこと。  

デザイン的にも内容的にもきちんと落ち着いてコントロールしている感じがあって、落ち着きを与えてくれる。欲しい。

 

『傾いた夜空の下で』 岩倉 文也  

短歌と詩の連作をどう評価するのかがわからん。どうするべきだ?  

詩の内容が自分のと似ていて少し嫌だ(笑)  

買ってもいい。買ってじっくり読まないとわからないことが多すぎる。  

中也の影響があるように感じる。  

詩と短歌は別に対応しているわけではないようだ。してるのか?  

詩集? うーむ、歌集? うーむ。  

Twitterで発表された作品が多い。Twitterで読むとまた印象が違うだろう。

 

『忘失について』 水下 暢也  

昔あったかもしれないことを風景画として残しているイメージ。  

脳内に浮かぶ風景がことごとくセピア色かモノクロ。  

この作品集自体が忘れられたことのスケッチであるということ(たぶん)。  

自分が思潮社の詩集に慣れすぎているため読みやすく感じる。  

詩集はテキストのみでは比較できない。自分がその本を読みやすいかどうかも評価に関わってくると言うことを前提としたい。

 

『使い』 倉石 信乃  

読むのがとても辛い。言葉がトゲトゲしている。  

しかも勢いじゃなく「勢い(ノリのようなもの)」を技術として使いこなしているのでたちがわるい。  

不満やストレスのはけ口として詩はあってもよいが、私はユーモアがほしい。  

この詩集にユーモアが全くないわけじゃないが、とにかく辛い。  

辛いのだ読むのが。  

 

予習を終えて、朗読会の会場へ向かう。  

昨年もいた人、いない人。  

あ、海老名絢さんおる。ちょっと話す。

 

地元の小学生や今年の受賞者が中也に花を捧げたあと、屋根の下の朗読会が始まる。

毎年思うが、小学生男子の「汚れつちまった悲しみ」の汚れてなさがぱねぇな。  

受賞者の朗読もあり、井戸川さんは朗読もうめぇ。昔、演劇をやってましたとか言われたら信じるレベル。  

自分の詩の朗読は思っていたよりうまくいかなかった。  

そういうこともある。中也は酔っぱらってからよく自分の詩の朗読をやっていたらしい。周りもみんな酔い潰れて聞いてないのにやってたとか。  

そうやって、声に出すことでつかめるものもあるだろう。今回の私の朗読もきっと明後日くらいには意味を帯びてくるだろう。  

海老名さんの朗読はよかった。文學界に掲載された詩の朗読だったのだが、一緒に掲載されたインパクトの強すぎる写真からようやく詩が詩として私のところにやってきた感じがあった。  

朗読会のあとさすがにお腹がすいたので離脱する。  

 

授賞式まで『ひかりがやわい』を読む。

 

『ひかりがやわい』海老名絢  

おさめられた作品のほとんどが、現代詩手帳とかユリイカに掲載されたもので、完成度が高いと思われる(その完成度の高さはそのとき選評した人の基準である)。  

日記のような詩集といえる、日常の詩といえる。  

日常の狭さ、他人との関わりのなさと、深く関わることの怖さ、諸々から適度に逃げるということ。  

ぐったりだけど肯定したい今現在への優しさ(ひかりのやわらかさ)が溢れている。

選考委員側に立てば、もっと深く潜れってことだろうか?(推理でしかないが)  

 

感想をざっくり伝えてサインをもらう(ただのファンじゃねーか)。  

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最終候補には残らなかった。確かに今回の6作品と比べるとはじかれても仕方がないのかもしれない。6作品のどれも「これは自分のために書かれた詩集だ」と感じる人がいてもおかしくないし、まじで甲乙つけがたい。  

現状問題があるとすれば、最終候補や他の投稿された作品を読み比べる場所が中也記念館にしかないということだろうか。  

なんにせよ毎年、選評委員大変だな。おつかれさまです。温泉でゆっくりしていってね(唐突なネットスラング)。

 

授賞式はスムーズに進む。相変わらずステージ上で座っている荒川洋治氏が寝ているように見える。  

佐々木幹郎による選考過程の説明は毎年面白い。

詳細はユリイカに掲載された内容とほとんどかわりないんだが、やっぱり直に説明をされると腑に落ちる。  

しかし、ふと『する、されるユートピア』は母の死が描かれているが、全く「父」の存在がないことに気がつく。まぁ、いいか。  

中也が描いた「死」と井戸川が描く「死」の違いについてふれていた。  

一歩引いた冷静な視点というか。悲しみを客観的に捉える視点のブレのなさとか。

受賞者の挨拶では、もとのタイトルが「影響しあうユートピア」だったことがあかされた。する、される、のほうがええな。うん。(この「うん」がもう影響されとるやないかいという高度なノリツッコミ)  

井戸川さんは朗読のときといい、挨拶といい堂々としているというか、さすが高校の先生だなと。  

 

その後、作家の赤坂真理による記念講演があったのだが、あまりにも内容が悪かった。 中原中也の詩への感想というか雑感と、「サーカス」をテーマにした即興詩(エレキギターとの共演)という構成だったのだが、どちらもひどかった。  

 前半の講演は「え、レジュメ書いて来た? 大丈夫? 緊張してます?」というレベルのたどたどしさで、私を常に不安にさせた。  

 即興詩はまずどこまで練ってるのかか不明だし、どのように展開しようかという不安がヒシヒシと伝わってきて、常に私を不安にさせた。

「言葉を紡いでいくときの緊張感とギターの音とのコラボレーションが素晴らしかったです」と私が関係者なら頑張って褒めたたえただろうが、この日は詩集を7作も読み、朗読会にも参加したので文学的な感覚が研ぎ澄まされて作品やパフォーマンスに対するハードルが高くなっていたので、クソなものには堂々と自信をもってクソだと言いたい。  

あの記念講演は私にとっては確実にクソだった(逆にとても良かった、という人もいることだろう)。

 

 授賞式で会った知り合いと夕ご飯を食べに行く。

 久しぶりに会ったのでものすごく長いこと話す。

 お互いのこれまでとこれからには殆ど絶望しかないが、まあ仕方ないという話をする。 つまりはその絶望をどのようなユーモアでオブラートに包むかという話で、絶望の話ではなくオブラートと包み方の話になったので良かった(詩的に内容をごまかす高等技術。テストに出るぞぉ)。

 まあ、中原中也賞が、島清恋愛文学賞のように一回中止になったりしないことを祈るばかりだ。  

そうして詩人に優しい湯田温泉の1日は終わった。  

一日中、湯けむりを雨がすり抜け続けていた。   

湯田温泉にて わけわからんを味わおう

明日は中原中也生誕祭と中也賞の授賞式なので湯田温泉にやってきた。

嘉村礒多も先妻の静子の実家があったのでよく来ていたらしい。

礒多を描いた小説『遥かなる雲』では小林秀雄中原中也を知らないか尋ねられて、知らず「前の妻の実家」を思い出すというシーンがある。

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『遥かなる雲 私小説家・嘉村礒多の苦闘の短い生涯』著・堂迫充



中也は礒多のことを作品を通じて知っていた。珍しく良い評価をしていたことが、手紙で残っていて、その件に関する展示が今年の3月にありました。

嘉村礒多を紹介して頂けて有り難かった。

でも、まあ普通に見学に来た人からしたら「そいつ誰やねん」だったとは思う。

今展示をしている詩人・上田敏雄のことも殆どの人は「誰なんかね?」だと思う。

私もたまたま知っていただけなのでそりゃぁ仕方ない。

でもまあこれをきっかけにシュルレアリスムの世界を少しだけ覗いてみてほしい。

まじでわけわからんから。

でもそれで良いらしい。

 

中也のLINEスタンプが発売されたとのこと。

中也ファンはゲットして使いまくりませう。

中原中也記念館の向かいにある「狐の足あと」では山口県の日本酒や、ケーキ、足湯が楽しめる。

酒呑みたい。オススメは金雀。

忘れ物が発覚し、慌てて買いに行ったせいで色々と予定が崩れる。

温泉がぶち気持ちよかった。

今もうちぃと眠たい。

温泉は疲れを癒すというよりは疲れを表に出してくれるイメージ(個人の感想です)。

なので、表出した「疲れ」をきちんと「早寝」で対応しておかないと疲れが残ってしまう気がする(故人の感想です)。

何が読みたくなってもいいように沢山の本を持ってきたけど寝よう。

明日の朝も温泉に入ろう。

湯田温泉で自主的なカンヅメしたい。

小説書くぞ! って意気込んだ結果すごい詩が書けそう(詩かい!)

鯉のぼりとネタバレ

今日は仁保地域交流センターにて4月の「礒多を読む会」。

ゴールデンウィークをなめていました。

高速道路が想像以上に混んでいて遅れる。

金沢に行ったことや島田清次郎とか色々なことを報告。

代表作である『業苦』を少しづつ読み進めている。

今日読んだところはまさに礒多の核ともいえる箇所で感想がけっこう盛り上がった。

 

 妻の過去を知ってからこの方、圭一郎の頭にこびりついて須臾(しゅゆ)も離れないものは「処女」を知らないということであった。村に居ても東京に居ても束の間もそれが忘れられなかった。往来で、電車の中で異性を見るたびにまず心に映るも

のは容貌の如何(いかん)ではなくて、処女だろうか? 処女であるまいか? ということであった。あわよくば、それは奇跡的にでも闇に咲く女の中にそうした者を探し当てようとあちこちの魔窟(まくつ)を毎夜のようにほっつき歩いたこともあった。たとえ、乞食(こじき)の子であってもかまうまい。たとえ獄衣(ごくい)を身にまとうような恥ずかしめを受けようと、レイプしてもとまでしばしば思い詰めるのだった。    (嘉村礒多業苦』より)

 

  まあこの部分を読んで出てくる感想は

 こいつやべぇ奴やないか

ということに尽きるのだが、この行き過ぎちゃってる感じがたまらくもある。

 私小説の極北感ぱねぇな。

業苦』の朗読をしている最中に、なぜか虫取り網を持った子供たちが仁保地域交流センターにやってくるというハプニングもありつつ。

 子供には聞かせられん部分だから!

100%教科書に採用されないから!

 されたら凄いわ。

 感想や意見のなかに「いいわけ」という言葉がでて、たしかに文学、とくに私小説なんて自分が変になっちまった理由を、経緯を、いいわけを連ねたものかもしれないと思ったり。

  

 

 外では鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでおります。

 写真を撮る家族連れが沢山いた。

 

 

 そして、映画館で『劇場版 響けユーフォニアム』を観る。

 あんまりネタバレしたくないのだが、内容に触れずに感想を述べることは不可能ですね。

 ネタバレについてはゲーム会社サイバーコネクトツー代表の松山洋氏の

「ネタバレされたー! とか言ってんじゃねえよ、もしその作品が本当に好きなら公開初日の一回目を観に行け」

 というぐうの音も出ない正論が大好きです。

『ユーフォ』についてはまぁ、テレビシリーズと『リズの青い鳥』を観て良かったなと思った人は絶対に観にいくべきでしょう。

 音的にも映画館で観るべき作品です。

 

 作中でキャラクター達はそれぞれいい音を出すために頑張るのですが、自分もこう伝えたい抽象的な感覚をうまくすくえる言葉を探している感じがあって、それはやっぱり簡単にできるもんじゃないなという当たり前のことを改めて思い知らされました。

 ……だめだな、内容に触れないと凄くふわっとした感想になるな。

 まあ、「空の下の朗読会」頑張ろうと思います。

朗読する詩の内容も決まりました。

 

 明日は湯田温泉に向かいます。

 明後日は中原中也生誕祭です。

 雨みたいなのでちょっと心配。

 というか、4月29日に雨って10年ぶりとかなのでは?

 企画展もじっくりみたい。

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フルカワユタカについてあまり語りたくなかったんじゃけど(だけどもう愛されたい)

今日は私が好きな音楽についての話。

ずっと魚の小骨が喉にあるような感じで黙っていたのだが、

もうかれこれ10年くらいフルカワユタカというロックスター(スターというのが彼のあだ名でもある)を追いかけている。

四国のフェスに友達と行くことになり、たまたま、当時フルカワユタカがいたDOPING PANDAも出演するとわかった。

DOPING PANDAを初めて聴いたのはラジオで『I'll be there』という曲だった。


DOPING PANDA - I'll be there(LIVE)

 

ああ、あのダンスミュージックっぽいバンドか、と思い予習するため発売されていたCDをレンタルしたり買ったりして、全部きいた。

フェスのときはそんなに感動はなかったのだが、だんだん曲にはまってゆき、ライブに足を運ぶようになりファンになっていた。DOPING PANDAのファンのことをドーパメイニアもしくはメイニアと呼ぶが私はメイニアではない。

当時(2010年〜2011年くらい)フルカワユタカが「The idiot Radio」というネットラジオをやっていた。

私はとても真面目に(糞真面目に)書いて送ったメールをボロクソに罵られたので腹が立ってCD全部割ってやろうかと思った事がありそれ以降もう本当に孤独に、SNSDOPING PANDAについて全然発言したりせずに地味にリスナーとして曲のみ聴いていた。

ちなみにCDを割ることはできなかった。あそこできちんと割れるような衝動が欲しいがそんな衝動はなく、CD勿体ないなと思ってしまった。

なので、わしゃぁメイニアじゃないんじゃあ感がいまだにある。

例えフルカワユタカの性格が最悪でも曲に罪はない。とも思った。

そして、2012年4月19日DOPING PANDAは解散する。

(いやほんと新しい「イエイエ」とか「kiss you baby One more time」とか生で聴きたかった)

私は、本当にもうどうしようもなくがっかりしたが、これまでの曲が消えてなくなるわけではなかったので、その後も犬の散歩の時とかはずっとDOPING PANDAだった(その犬も昨年亡くなった、黒い柴犬で小さいパンダみたいだった)。

 

後にフルカワユタカはソロ活動をはじめて現在に至る。


フルカワユタカ / I don't wanna dance MINI ALBUM 2015.11.4 on sale

(この曲で唐突にシマウマになりますが、演出意図としては「白黒の動物ってシマウマじゃなくてパンダのほう! パンダ! ってことらしいです)

 

私はドーパン(略称)のラストライブに行けなかったことをぶち(とても)悔やんでいるので、ソロ活動を始めてからのライブにはなるべく行くようにしている(ドーパンはその後一回だけ復活した)。

 

それでもメールをディスられた(面白くない、つまらない等々)ことが今尚ムカついて、MCでつまんねーこと言ったらぶっ飛ばすからなと目をギラつかせながらMCを聞き、曲を浴びている。

でも、もう疲れたので、というか、金払ってムカつきに行くって何だよという感じなので、だけどもう愛されたいので(music you like)

SNSやブログでぼちぼち発信していこうと思う。

 

理由は色々ある。

この度ニューアルバムとツアーの発表があったのだが、広島がない、ってことは山口県なんか絶対ないわけで、何とかしてもう一度、山口でフルカワユタカの故郷でのライブを観たいと思った。

もう一度っていうのは、私が一番最初に行ったドーパンのワンマンライブが徳山(山口県周南市)であったのだが、そのときはドーパンのライブでどうするべきなのか全然わからない状態だったので、やり直したいのだ(ちなみに当日仕事終わりに急いでいたせいで車で事故ってしまいライブどころではなかったというのもある)。

そういえばあのときから「アコースティックライブのツアーをしたい」って言ってたなぁ。実現できとる。

 

私は昨年、腸炎になって東京でのポリシックスとの対バンライブに行けなかったので、

「ああ、普通に好きな音楽を奏でる人に会いに行けるというのは幸せなことなんじゃな」

と思ったってのもある。


【連載特別編】フルカワユタカとハヤシヒロユキ [POLYSICS] はこう語った -net radio-

 

 

広島であったアコースティックライブには退院明けにギリギリ行けた。

痩せてしまったせいでお尻が椅子に悲鳴をあげていたが、超至近距離で観るライブは最高だった。ギターのカッティングが素晴らしかった。

 

フルカワユタカはもう「The idiot Radio」をやっていた頃の刺々しい感じは全くなくなって、丸くなって、色んなアーティストとのコラボで素晴らしい音楽をリリースし続けている。


フルカワユタカ / クジャクとドラゴン feat.安野勇太(HAWAIIAN6) 2018.12.05 on sale


フルカワユタカ feat.原昌和 (the band apart) / ドナルドとウォルター (Short ver.) 2018.06.06 on sale

 

ニューアルバムもツアーも楽しみ。

期待しかねぇ。

気になったらCDを聴いてライブに行ってみんさい。

 

 

 

文フリ東京参加するよ/とにかく手にとっていただけたら災です(?)

5月6日は文学フリマ東京に参加します。

 [ケー50]におります。

いつもの嘉村礒多とあと何かフリーペーパー的な物を持って行けたらいいなぁと思っております。

お隣はlousism(ラウシズム)[ケ−49]です。

 

 

 

彼の書く小説は本当によくわからなくて最高に面白いです。

現実にありそうな感じと「いやいや、ありえないだろ」のバランスがちょうど良いというか絶妙といいますか。

とにかく手にとっていただけたら災です(誤字にあらず)。

嘉村礒多も手にとっていただけたら災ですね。ええ。

 

冷静に考えたら、このゴールデンウィークはものすごく忙しい事が判明しまして、今からどねぇしようかと悩んでおります。

「礒多を読む会」とか、中也の生誕祭とか、知り合いと一年ぶりに会ったりとか、東京にも行くし、あれ? これ大忙しじゃね?

まあでも忙しいくらいがちょうど良いかもしれません。

暇だとついネガティヴになりがちなんで。

すっかり暖かくなったんじゃけど、春っぽい服がないので買わないといけんのですが(昨年思い切って捨てた=こんまりった)、ネットで服を買うかどうかは悩む。

やっぱり試着しないと不安で、実際お店で試着したのに、後からやっぱりこれサイズ小さかったという事があったので、ネットで服買うとかもう博打じゃね? みたいな。

しかし、滅多に服を買わないので、店員さんとのやりとりにかなりパワーを使う。スマホの機種変並みの消耗を強いられる。

ネットで買えばやりとりをしなくても済みますが。

 

そう考えると、本も店員が服をオススメするように売っても良いわけで、書店によってはカリスマ店員もいたりするわけで、文学フリマなんかはまさにアパレルショップの店員のように本をオススメするわけで。

 

まあ何にせよヴィリジアン・ヴィガン[ケー50]と

lousism(ラウシズム)[ケ−49]をよろしくお願いします。

 

 

 

もしもあなたが中原中也生誕祭に来るのなら

今年も中原中也生誕祭がやってくる。

4月29日の12時30分から詩の朗読やミニライブ

中原中也賞授賞式に記念講演と盛りだくさんである。

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私も空の下の朗読会には参加するのでそろそろ朗読するための詩を決めて練習しないといけない。

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私の詩のノート。とても汚い字で書かれているため他人は読めない(自動で暗号化)。

もし、あなたが空の下の朗読会に参加したいのなら、

当日は少し早めに(受付は12時から)中原中也記念館に行くことをオススメする。

そして、詩は何を読むのか決めておき、朗読が3分以内におさまるのか確認しておくといいだろう。中也の詩でも自作の詩でも誰かの詩でも構わない。

 

空の下の朗読会では前半、地元の小学生による朗読がある。

小学生男子による少し背伸びした「汚れっちまった悲しみに」や

小学生女子による金子みすずの朗読のあとだ。

彼らはバッチリ学校で練習してくる。家でも練習していることだろう。

そして問答無用で可愛い(可愛い)。

 

大人の朗読はその後である。

もしあなたが飛び入りで参加した場合、

練習していないと、よほどの自信家でない限りは

不安がマイクにのってしまうことだろう。

 

もしあなたが、中也賞の授賞式に参加するのであれば、

受賞作は読んでおくべきだろう。

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そうでないと、選考委員の選評を聞いても意味がよくわからないからだ。

当日、購入することができるはずだ。

記念講演も無料なので参加して損はないだろう。

 

 

さて、私は小説がなかなか書けないので、詩でリハビリしようとか考えて今に至るわけだが、考えが甘かったかもしれない。

 

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「妹さえいればいい11巻」著・平坂読 イラスト・カントク

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……はい。なんかすいません。



詩の世界ではリハビリなどできなかった。

また違った筋力(のようなもの)を求められる。

 

4月の初めに海老名絢の詩をネットプリントで読んだ。

こういう詩の届け方もあるのかと思う。

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vol.1をプリントアウトし忘れたのでこれはすぐにコンビニに行った。

彼女は昨年の中也賞の候補に残りつつも受賞は逃した。

しかし、朗読会には参加して自作の詩を朗読した。

その行動力には尊敬しかない。

もしくはただ温泉旅行に来たかったのかもしれないが。

 

私は文學界を地元の書店で定期購読しているのだが、5月号の巻頭表現が海老名絢でびっくりした。

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合わせて掲載されている写真のインパクトが強すぎて詩の内容が全然頭に入ってこなかった。

あなたがもし29日に山口に来るなら、本屋でこの巻頭表現を立ち読みしておくといいだろう。買うともっと良いだろう。

詩が頭に入ってこないだろう。

 

まあ、つまり、私は当日どのような詩を読むか、今とても悩んでいるのである。

あなたも是非、詩について悩んで、練習して、空の下で朗読して、中也を偲んでから湯田温泉で疲れを癒してほしい。

2019年 さらば文学フリマ金沢 またいつか

朝早く起きて新岩国駅へ。
2月の文学フリマ広島のときは詩集を作るぞ! と意気込んでいたがまさか行けるかどうかも怪しくなるとは。

虫垂炎(盲腸)の手術後の痛みに耐えながら仕事をどうにかこなすので精一杯だった。

情けないとは思いながらも金沢へ向かう。

いやもう3月大変だった。手術後の痛みはあるし花粉症でくしゃみをすると激痛が下腹部を駆け抜けるし、咳をしても痛いし、もう、なんなの?
仕事では「無理するな」って言われるけど無理しないと間に合わないスケジュールだし。もう、なんなの? 
 4月に入っても思うように詩集の編集が上手くいかなくなり趣味である文学がストレスになってしまうという悪循環。
 しかし、それを断ち切ってくれたのは、金沢行くしちょっと読んでおこうかと手にとった島田清次郎「地上」だった。

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 これは、あの、しゃれにならんくらい面白いんですが!
 さすがは大正時代を代表するベストセラー。

 金沢の風景や、たくましく生きる人々が、生々しくリアルに描かれていることじゃろうか。もっと主人公が「俺は天才じゃぁ!」と威張ってる感じの小説だと思っていたら、全然違った。群像劇に近い内容だった。
 作中に頻繁に登場する「天才」という言葉が文学を志す若者のあいだで流行語になったというのもうなずける。

 詩の編集なんて痛みを堪えながらやっても中途半端になるからやめて、島田清次郎ゆかりの地とかを調べる。一昨年文フリ金沢に行ったとき「にし茶屋街」で島田清次郎のことを知って、文フリ京都のときに「地上」をセットで買って放置していたのだ。

 なんで放置してたかな。


昨年は文フリ金沢に行けなかったが、今回は開催が土曜日で開始時刻が13時だったので山口県からでも気楽に参加できた。懇親会に出られるのもありがたい。


金沢駅で昼食を終えて、会場へ向かう。
準備をしながらとにかくここまで来ることができたという事実に安堵していた。
朗読・リーディングセッションにも参加するのでそれまで体力を温存する。

 詩の朗読は他の参加者の朗読がかなりエッジが効いてたので自分のはむしろスタンダードな感じで楽にできた。

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旧い1日曰く(ふるいいちにちいわく)


中原中也の随筆の朗読や、カタカナ詩(なぜか聞くだけでもカタカナだと感じる不思議)、夢野久作の掌編、ペットボトルを読んだり(ペットボトルを読むってなんだよ!)、ちょい怖いホラー作品や、短歌がこう次から次へと、盛りだくさんでありました。


 私は少しだけ自分の詩に自信を持てた。

 

 朗読を終えてブースに戻ると待ちわびていた方がいて慌てる。
 
 事務局「懇親会のチケット買ってないひと、早めにお願いしまーす」

 

 更に慌てる。

 嘉村礒多の本は宣伝をしてない割には手にとってもらえた。

 因みに礒多が安倍能成に送った手紙に「島田」の名前が出てくる。島清は安倍に頼ろうと手紙を送ったことがあったらしい。

 地方文フリ恒例、リレー小説についてはもう、大変でした。
 なんていうか、こうね、もうちょい歩みよれんかったかね?

 なんか、無理難題を押しつけられた脚本家になった気分でした。
 

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『きゃくほんかのセリフ!』著 ますもとたくや イラスト 裕


 

 リレー小説に全力を尽くした私は、他のブースを見て回る時間を失ってしまったが後悔はない。

 懇親会へ。
 主に笹原悠吾という日本語理論についてのコピー本を頒布していた青年と話す。

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 本の内容をざっくり言うと、話すときのフィジカル的な語感の印象について書かれているとのこと。
 ただ、その内容よりもどういう経緯でそういうコピー本を文学フリマで頒布しようと思ったのかが気になった。富山から参加だという。日本語理論については完全に独学で、ぶっちゃけトンデモかもしれないとのこと。
 しかし、自分の理論に自信はあるみたいだった。 彼の書いた「集合論フローチャートによる日本語理論」が日本語理論的にすごいのか、普通なのか私にはわからないが、熱意だけは伝わってきた。
 私は、日本語の活用形とかとても苦手で、わからなくても日本語かけるじゃない派なのだが、言葉を聞いたときに受ける印象みたいなものは興味がある。彼の理論は話し手側が感じる印象についてのようだ。感想はまた改めて。
 
 文学フリマ金沢は一端お休みとのこと。復活か、もしくは他の北陸での開催を願う。きっと、今頃ほかの北陸四天王(?)が「金沢など最弱、次はワシが!」と爪を研いでいるであろう。たぶん。

 

 翌日の日曜日は、島田清次郎めぐり。
 美川町を歩く歩く。
 記念碑、お墓、顕彰碑。

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 結構な距離を歩いたのだが、道が平坦であまり疲れなかった。よいリハビリになった。

 島清、人生の後半無茶苦茶だった割には記念碑とか作ってもらえてよかったなぁ。としみじみ。
 金沢駅に戻り、中原中也の「サーカス」ゆかりの神社にも行く。
 木がぶちでかいんじゃけど!

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 神社は、にし茶屋街の近くでついでに島清の展示も見る。やっぱり作品を読んでから行くべきだ。当たり前だけど。聖地巡礼感ぱねぇ。

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帰りがけに寄った書店で「北國文華」という雑誌を見つける。

たまたま、島清特集!

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 新幹線で読みながら、島清恋愛文学賞の紆余曲折がおもしろかった。

 賞そのものが市町村合併とか市長の交代の影響で中断したりしている。
 やはり、文学イベントや文学賞は、それのみで持続可能でないとなくなったりする怖さがあるなぁ。

 

しかし、文学フリマ金沢がなければ、島清や、詩人・広津里香や、たまたま同じ名字の中西悟堂を知ることもなかっただろう。

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金沢で育ち若くして亡くなった詩人。詩の内容がロクに理解出来ないが地道に少しずつ読み進めては戻りを繰り返している。

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同じ名字だと親近感がわく。悟堂は野鳥研究者で歌人、詩人、僧侶。

 

 第一回の前日の合宿みたいなのも懐かしい。あのとき出会った人とは今もツイッターとかで繋がりがある。
 開催してくれたスタッフの皆様に感謝を。ありがとうございました。お疲れさまでした。
 
 そしてまだ見ぬ北陸の地よ。
 期待して吉報をお待ちしております。