虫垂炎
今年に入ってからもなんだかすっきりしない日々が続いていた。というか下痢が続いていた。それでも1月の文学フリマ京都にはいけたし、2月の文学フリマ広島にもいけたことは良かった。
3月12日の火曜日午前2時半に突然目が覚めて腹部に激痛を感じた。
昨年やってしまった腸炎かそれとも腸閉塞なのか。ともかくまたやってしまったと思った。
母に送ってもらい病院で診察を受けた結果、虫垂炎らしいとわかりすぐに手術となった。
結局火曜日は1日中痛みに耐え3回ほど吐くことになった。
手術した日はよく眠れず、寝不足で迎えた翌日は虫垂炎とは違う種類の「お腹を切りましたよ」という痛みでろくに歩くことさえできなかった。
2018年度だけで3回も入院することになるとは思わなかった。
会社の上司も広島で子育てに奮闘している妹もお祓いにでもいったほうがいいんじゃないかというが、私はさほど不運だとは思っていなかった。
体を動かせば右の下腹部に痛みがあるし、咳やくしゃみをすると激痛がはしる。体力も相当落ちていることだろう。しかし、今回の入院は昨年の入院よりもずっと楽だった。7月の腸炎の際はまだ痛いのに退院だったし、11月の腸閉塞のときは入院期間が長く終わりがみえなかった。それに比べればということにはなるが、今回はマシなほうだったといえるだろう。
病院ではゆっくりと時間が流れる。このゆっくりに皆、戸惑い暇だと嘆き一刻も早く退院したがるのだが、私はすっかりこのゆっくりに慣れてしまった。適応してしまったといってもいい。それはおそらくはあまり良くないことである。
ああそうか私は誰かに何かを特別伝えたいとは思っていないのだ、ということに気がついたのは入院する少し前のことだった。
風呂で好きな曲を適当に歌っていたときのことで、私は歌いたいから歌っているのではなく自分が聴きたいから歌っているような気がしたのだ。気がしたというよりそうだなと確信した。
おそらくは詩も小説(全然書いてない)もそうで、誰かに発表するためというよりは、己を保つためにのみ言葉を紡いでいるような感覚がある。
なので、例えば自分の自作の曲をCDにしたり、詩をまとめて本にしたりといったことに全くテンションが上がらなかった。
できかけの詩集のデータはパソコンのなかでそろそろ発酵するのではないだろうか。
もう何年も文学フリマに新刊を持っていっていない。
にもかかわらず参加は続けている。そんなサークルは自分だけではないかと不安になりつつこれといって誰に迷惑をかけているわけでもないのであんまり不安になってなかったりもする。サークルの嘉村礒多を広めるという当初からの目的はギリギリ達成できている。
確かに、発表することにはあまり興味がない。しかし、世の中には発表するつもりはなかったが、現在世に出回ってしまった書物が割とたくさんある。
不特定多数の大衆に受け入れられるようにカスタマイズすることができることもまた一つの素晴らしい才能であるし、特定の1人の心にこびり付いて離れない物語を書く人もいることだろう。
文学フリマでは、どのようなニッチな物でも頒布することができる。
あまりにも自由過ぎて何を発表したらいいかわからなくなるほど限りなく自由だ。
文学フリマで、一応は市場に晒される。
私の場合はそこで最初からまともに戦えないとわかっていたので働かざるをえなかったが、働くことができるということもまた素晴らしい才能である。
働くことプラスアルファをおこなうための体力を取り戻すとこらから、私の文学フリマすごろくは再スタートしなくてはならない。虫垂炎による入院は確かにトラブルではあったがそんなに落ち込んでいるわけでもない。
入院している病室は4人部屋だが、割と快適で、さほど不自由なくすごすことができる。これまでの入院時に同室だった人があまりに酷かったのであくまで相対的にマシに思えているだけかもしれないが。
今日退院した。
久しぶりの自分の部屋はまるで他人の部屋なのではないかと錯覚するほど居心地が悪い。