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福岡ポエイチには行けたお話

(下書きを書いてUPするの忘れていた)

6月19日は福岡ポエイチ。
谷川俊太郎のトークイベントに行くため、朝早く福岡行きの電車に乗る。
雨が強い。
電車が駅で停まった。
でも、雨はもう降ってないから大丈夫だろ。
しかし電車は昼まで動かないと車掌さんは言う。

さらば谷川俊太郎トークショー。

でも、とにかく福岡までは行こう。
近くに住んでいる親戚に電話して徳山駅まで。

そんなこんなで、ポエイチには行けました。
いつも、田植えが忙しくて行きたくても行けなかったから嬉しかった。
会場の狭さが生み出す謎の一体感が心地よかった。

 

先日、詩について、唐突に理解できた日があった。
農作業の途中、昼食を買いに車で近くのコンビニに向かっているときだった。
フロントガラスに少しだけ雨粒が落ちるなか、カーステから『言の葉の庭』の曲が流れた。

大江千里が作った『Rain』を秦 基博がカバーしたやつだ。

歌詞をなぞるように口ずさむが、言葉が欠けている感じがあって、具体的に何が起こっているのかわからない。
歌詞だから、きちんと何があったかなんてわからなくてもいいが、私は気になる人間なのだ。
私は『言の葉の庭』監督・新海誠のファンで、サインをもらいに行ったりしている。作品だけでなく彼のインタビューも面白い。
言葉使いが上手すぎるというか、そんなに明確に自分の作品を語れるなら(この作品ではこういうことが表現したかったのです、的な)作品を作らなくてもいいんじゃないかというくらい上手い。
それでも、彼が映画(アニメ)を作る理由は、それなりに必然性があるはずで、つまりあの方法でしか表現できない、言語化できないものがあるからやってるのだと思う。

詩もたぶん似たようなものなんじゃないか。
詩でしか表現できないものがあるから、詩を書くのではないのか。
それは、小説のように説明的ではなく常に言葉が足りてない。
足りてない部分を補うのは読み手の想像力だ。
だから、詩によって「良い」と思うものと「わからん」と思うものの差は、
書き手と読み手のこれまでの経験の重なり具合によるのではないか。

私は詩に寛容になろうと思った。
ただ「わからん」と投げ出すんじゃなく、もうちょい言葉を吟味してみようと思えるようになった。

 

今年のポエイチのイベントとして、谷川俊太郎が来ることが決まったとき、すぐにコンビニでチケットを買った。

そして詩について考える時間が増えた。

チケットを手に入れることや、詩について考えることで、わかったような気がした瞬間を体験できた。

それで十分だったということだろう。

 

この気持ちにも「名前」が必要だろうか。

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どんだけ買うのか。

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豆塚エリ『Re:mamen』太宰治賞の候補にもなったとか。

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なかむらあやみ

詩のイベントでまさか楽譜を買うとは。

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『さかしま』とにかく表紙のモデルが美人です。

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私に詩の言葉のジャンルコードが溜まるまで、あともう少しだ。