五月の路上に捨てない
ブログを当分書いていなかった。
少し前のことから遡って書いていきたい。
書くべきタイミングってのがあるわけです。おそらくは。
5月は文学フリマ東京に参加した。
設営を手伝った。しっかし広かった。
あんなに広い会場でやれるだけの文章系サークルが集まるというのもすごい。
さすがは東京。規模が違う。
出店しているサークル数が多すぎて、どうにも把握できない。
とはいえ、把握できていた頃は一般参加だったからまた別の話。
ブースに来てくださった方には感謝!
文学フリマ東京で手に入れた本。感想を書かないと。
そのまえに読まないと。
打ち上げにも参加した。
なんか、相変わらず濃い。話の内容が濃いよ。
やっぱり、文学フリマへの取り組み方が全然違うのが面白い。
東京では従兄弟の家族の家に泊まり、5歳児と2歳児に遊んでもらっていた。
育児ぶち大変だな。でも、日本は生きろ。這ってでも生きろ。
子供と同じサイクルで数日過ごすと健康になる。
外に出て遊ぶし、昼寝を一緒にするし、とにかく子供はよく笑う。
近くの川で釣りごっこをしたときの5歳児の想像力はすさまじく、
イルカ、カニ、クジラなどの魚が大漁だった。
子供が産まれると日和った小説しか書けなくなると納得。
まあ、人によるか。
保坂和志の小説みたいな数日を過ごす。
なんか特に何かあるわけじゃないが、猫と戯れるみたいな。
子供は欲求の強さが半端じゃない。
アイスが食べたい。ジュースが欲しい。ipadでyoutube見たい。
できないと泣く。
中原中也賞の朗読会では子供が金子みすずや、中也詩を朗読していたが、
ああいった人が言葉を得ていく途中で溢れる拙さのようなものが、
大人になるほどに無くなっていく。
同様に泣くほどねだる欲求も擦り切れてゆくやうな。
年を重ねれば重ねるほど拙さを洗練してゆきたい。
中也賞記念講演で、芥川賞作家・諏訪哲史が語っていたのはそういうことだと受け止めた。
詩を読み、声に出し、吃る。
引っかかる言葉に出会い、立ち止まる。
引っかかる言葉に出会う楽しみを味わえる人々との時間は心地よい、とも語っていた。
なるほど、文学フリマ打ち上げのときに感じるのは、そういう心地よさだ。
もっと欲求むき出しで、積極的に立ち止まる言葉に遭遇していきたい。
⭐︎告知
山口県で8月28日に開催される「萌えサミット2016」にて
「コミックカレッジin萌えサミ」という同人誌即売会に参加します。
というか、スタッフとして関わっております。
文学フリマは9月18日大阪と10月30日福岡に参加します。