詩を浴びた日

9月19日。

久しぶりの都会の喧騒にやられながら、私は詩を聞きに行った。

 
 
こういうイベントは行ったことがなく、謎だらけであった。
NHKで「詩のボクシング」って番組があってたまに見ていた。
あんな感じなのかな、と不安を抱えつつ大阪梅田の中崎町モンカフェへ。
階段を降りると、店内は白を基調としたおされな喫茶店。
今日はイベントようのセッティングなのだろう。大量の本が詰めてある本棚の方に椅子が並べられていた。
前方に座り開演を待った。
 
 
BGMにのせて詩の朗読。
囁くように語る人。
演劇風に裏声交じりで演じ分ける人。
即興で言葉を紡ぐ人。
トラックに乗せてラップする人。
笑を誘う人。
有名な作家の詩を朗読する人たち。中島らも宮沢賢治川端康成
俳句の朗読。
戯曲の1部。
ラップのトラックのないパターン。
拡声器で叫ぶもの。
ダンスと詩(殆ど歌)。
 
多様な音と言葉を大量に浴びて、
連日の残業に疲弊していた私の体が回復していく。
 
前半の1人3分という回転の速さも心地よかった。
後半は1人10分でじっくりと聴かせる感じ。
1人3分がMステなら、1人10分はフェスのような感覚。
 
カフェで買った豆カレーサンドはピリ辛で美味しかった。
 
思い知らされたのは、
ポエトリーリーディングと言う文化があるということ、ジャンルが広すぎること、会場に「こいつはどんなことをするのか」を知っている仲間の割合と雰囲気が大切であると言うこと。
 
詩は誰かが声に出して初めて完成する。
声だけじゃなく声を出している姿、パフォーマンスも含めて。
これまで私が手に入れた詩の本を黙読しただけでは全然足りていなかった。
シンガーソングライターの良し悪しを歌詞だけで判断していたようなものだ。
ライブを体験しないとわからない。
 
私はこのイベントに参加していたいくつかのサークルを、翌日の文学フリマ大阪で訪ね歩くことになるのだった。
 
詩は言葉の選択肢が広すぎて私は迷う。
ただ、イベントを見て、ざっくりとポエトリーリーディングのジャンルコードみたいなものは把握できたような気もする。
(なんで、もう朗読する側に立ってんねん)
 
楽しい時間をありがとう。