2019年 さらば文学フリマ金沢 またいつか
朝早く起きて新岩国駅へ。
2月の文学フリマ広島のときは詩集を作るぞ! と意気込んでいたがまさか行けるかどうかも怪しくなるとは。
虫垂炎(盲腸)の手術後の痛みに耐えながら仕事をどうにかこなすので精一杯だった。
情けないとは思いながらも金沢へ向かう。
いやもう3月大変だった。手術後の痛みはあるし花粉症でくしゃみをすると激痛が下腹部を駆け抜けるし、咳をしても痛いし、もう、なんなの?
仕事では「無理するな」って言われるけど無理しないと間に合わないスケジュールだし。もう、なんなの?
4月に入っても思うように詩集の編集が上手くいかなくなり趣味である文学がストレスになってしまうという悪循環。
しかし、それを断ち切ってくれたのは、金沢行くしちょっと読んでおこうかと手にとった島田清次郎「地上」だった。
これは、あの、しゃれにならんくらい面白いんですが!
さすがは大正時代を代表するベストセラー。
金沢の風景や、たくましく生きる人々が、生々しくリアルに描かれていることじゃろうか。もっと主人公が「俺は天才じゃぁ!」と威張ってる感じの小説だと思っていたら、全然違った。群像劇に近い内容だった。
作中に頻繁に登場する「天才」という言葉が文学を志す若者のあいだで流行語になったというのもうなずける。
詩の編集なんて痛みを堪えながらやっても中途半端になるからやめて、島田清次郎ゆかりの地とかを調べる。一昨年文フリ金沢に行ったとき「にし茶屋街」で島田清次郎のことを知って、文フリ京都のときに「地上」をセットで買って放置していたのだ。
なんで放置してたかな。
昨年は文フリ金沢に行けなかったが、今回は開催が土曜日で開始時刻が13時だったので山口県からでも気楽に参加できた。懇親会に出られるのもありがたい。
金沢駅で昼食を終えて、会場へ向かう。
準備をしながらとにかくここまで来ることができたという事実に安堵していた。
朗読・リーディングセッションにも参加するのでそれまで体力を温存する。
詩の朗読は他の参加者の朗読がかなりエッジが効いてたので自分のはむしろスタンダードな感じで楽にできた。
中原中也の随筆の朗読や、カタカナ詩(なぜか聞くだけでもカタカナだと感じる不思議)、夢野久作の掌編、ペットボトルを読んだり(ペットボトルを読むってなんだよ!)、ちょい怖いホラー作品や、短歌がこう次から次へと、盛りだくさんでありました。
私は少しだけ自分の詩に自信を持てた。
朗読を終えてブースに戻ると待ちわびていた方がいて慌てる。
事務局「懇親会のチケット買ってないひと、早めにお願いしまーす」
更に慌てる。
嘉村礒多の本は宣伝をしてない割には手にとってもらえた。
因みに礒多が安倍能成に送った手紙に「島田」の名前が出てくる。島清は安倍に頼ろうと手紙を送ったことがあったらしい。
地方文フリ恒例、リレー小説についてはもう、大変でした。
なんていうか、こうね、もうちょい歩みよれんかったかね?
なんか、無理難題を押しつけられた脚本家になった気分でした。
リレー小説に全力を尽くした私は、他のブースを見て回る時間を失ってしまったが後悔はない。
懇親会へ。
主に笹原悠吾という日本語理論についてのコピー本を頒布していた青年と話す。
本の内容をざっくり言うと、話すときのフィジカル的な語感の印象について書かれているとのこと。
ただ、その内容よりもどういう経緯でそういうコピー本を文学フリマで頒布しようと思ったのかが気になった。富山から参加だという。日本語理論については完全に独学で、ぶっちゃけトンデモかもしれないとのこと。
しかし、自分の理論に自信はあるみたいだった。 彼の書いた「集合論とフローチャートによる日本語理論」が日本語理論的にすごいのか、普通なのか私にはわからないが、熱意だけは伝わってきた。
私は、日本語の活用形とかとても苦手で、わからなくても日本語かけるじゃない派なのだが、言葉を聞いたときに受ける印象みたいなものは興味がある。彼の理論は話し手側が感じる印象についてのようだ。感想はまた改めて。
文学フリマ金沢は一端お休みとのこと。復活か、もしくは他の北陸での開催を願う。きっと、今頃ほかの北陸四天王(?)が「金沢など最弱、次はワシが!」と爪を研いでいるであろう。たぶん。
翌日の日曜日は、島田清次郎めぐり。
美川町を歩く歩く。
記念碑、お墓、顕彰碑。
結構な距離を歩いたのだが、道が平坦であまり疲れなかった。よいリハビリになった。
島清、人生の後半無茶苦茶だった割には記念碑とか作ってもらえてよかったなぁ。としみじみ。
金沢駅に戻り、中原中也の「サーカス」ゆかりの神社にも行く。
木がぶちでかいんじゃけど!
神社は、にし茶屋街の近くでついでに島清の展示も見る。やっぱり作品を読んでから行くべきだ。当たり前だけど。聖地巡礼感ぱねぇ。
帰りがけに寄った書店で「北國文華」という雑誌を見つける。
たまたま、島清特集!
新幹線で読みながら、島清恋愛文学賞の紆余曲折がおもしろかった。
賞そのものが市町村合併とか市長の交代の影響で中断したりしている。
やはり、文学イベントや文学賞は、それのみで持続可能でないとなくなったりする怖さがあるなぁ。
しかし、文学フリマ金沢がなければ、島清や、詩人・広津里香や、たまたま同じ名字の中西悟堂を知ることもなかっただろう。
第一回の前日の合宿みたいなのも懐かしい。あのとき出会った人とは今もツイッターとかで繋がりがある。
開催してくれたスタッフの皆様に感謝を。ありがとうございました。お疲れさまでした。
そしてまだ見ぬ北陸の地よ。
期待して吉報をお待ちしております。
虫垂炎
今年に入ってからもなんだかすっきりしない日々が続いていた。というか下痢が続いていた。それでも1月の文学フリマ京都にはいけたし、2月の文学フリマ広島にもいけたことは良かった。
3月12日の火曜日午前2時半に突然目が覚めて腹部に激痛を感じた。
昨年やってしまった腸炎かそれとも腸閉塞なのか。ともかくまたやってしまったと思った。
母に送ってもらい病院で診察を受けた結果、虫垂炎らしいとわかりすぐに手術となった。
結局火曜日は1日中痛みに耐え3回ほど吐くことになった。
手術した日はよく眠れず、寝不足で迎えた翌日は虫垂炎とは違う種類の「お腹を切りましたよ」という痛みでろくに歩くことさえできなかった。
2018年度だけで3回も入院することになるとは思わなかった。
会社の上司も広島で子育てに奮闘している妹もお祓いにでもいったほうがいいんじゃないかというが、私はさほど不運だとは思っていなかった。
体を動かせば右の下腹部に痛みがあるし、咳やくしゃみをすると激痛がはしる。体力も相当落ちていることだろう。しかし、今回の入院は昨年の入院よりもずっと楽だった。7月の腸炎の際はまだ痛いのに退院だったし、11月の腸閉塞のときは入院期間が長く終わりがみえなかった。それに比べればということにはなるが、今回はマシなほうだったといえるだろう。
病院ではゆっくりと時間が流れる。このゆっくりに皆、戸惑い暇だと嘆き一刻も早く退院したがるのだが、私はすっかりこのゆっくりに慣れてしまった。適応してしまったといってもいい。それはおそらくはあまり良くないことである。
ああそうか私は誰かに何かを特別伝えたいとは思っていないのだ、ということに気がついたのは入院する少し前のことだった。
風呂で好きな曲を適当に歌っていたときのことで、私は歌いたいから歌っているのではなく自分が聴きたいから歌っているような気がしたのだ。気がしたというよりそうだなと確信した。
おそらくは詩も小説(全然書いてない)もそうで、誰かに発表するためというよりは、己を保つためにのみ言葉を紡いでいるような感覚がある。
なので、例えば自分の自作の曲をCDにしたり、詩をまとめて本にしたりといったことに全くテンションが上がらなかった。
できかけの詩集のデータはパソコンのなかでそろそろ発酵するのではないだろうか。
もう何年も文学フリマに新刊を持っていっていない。
にもかかわらず参加は続けている。そんなサークルは自分だけではないかと不安になりつつこれといって誰に迷惑をかけているわけでもないのであんまり不安になってなかったりもする。サークルの嘉村礒多を広めるという当初からの目的はギリギリ達成できている。
確かに、発表することにはあまり興味がない。しかし、世の中には発表するつもりはなかったが、現在世に出回ってしまった書物が割とたくさんある。
不特定多数の大衆に受け入れられるようにカスタマイズすることができることもまた一つの素晴らしい才能であるし、特定の1人の心にこびり付いて離れない物語を書く人もいることだろう。
文学フリマでは、どのようなニッチな物でも頒布することができる。
あまりにも自由過ぎて何を発表したらいいかわからなくなるほど限りなく自由だ。
文学フリマで、一応は市場に晒される。
私の場合はそこで最初からまともに戦えないとわかっていたので働かざるをえなかったが、働くことができるということもまた素晴らしい才能である。
働くことプラスアルファをおこなうための体力を取り戻すとこらから、私の文学フリマすごろくは再スタートしなくてはならない。虫垂炎による入院は確かにトラブルではあったがそんなに落ち込んでいるわけでもない。
入院している病室は4人部屋だが、割と快適で、さほど不自由なくすごすことができる。これまでの入院時に同室だった人があまりに酷かったのであくまで相対的にマシに思えているだけかもしれないが。
今日退院した。
久しぶりの自分の部屋はまるで他人の部屋なのではないかと錯覚するほど居心地が悪い。
這ってでも行く
ぶっちゃけとても体調が悪いです。
年末からどうにかこうにか健康になろうとしたのですが、逆効果だったみたいです。
年始は風邪をひいてしまい、今週はずっと下痢ぎみでもうほとんど諦めていましたが、京都には這ってでも行くことにしました。
年末年始、お腹の調子が悪く何処にもでかけずにいたけど治らないのでもう諦めました。
腸の調子が悪いとポジティブになれないし、うまいこと文章が紡げなくなることがわかりました。
仕事だけで精一杯なんじゃぁ!
何の準備もできてませんし、詩の本も作れませんでしたが、私は文学がしたいので行きます。
行かないで体調が悪化するより、行って体調が悪化したほうが納得できるし、嘉村礒多だって常にお腹の調子が悪く、慢性的に風邪ぎみだったのだから、逆に文学的ですらある。
第3回文学フリマ京都
1月20日11時から16時まで。
ヴィリジアン・ヴィガンは[いー14]にてお待ちしております。
ポエムと職場
先週末は山陽小野田市立図書館のポエムカフェに久しぶりの参加。
皆さんに大変心配をおかけしたようで、すまぬ!
今回は俳句や短歌が多く、詩を持ってきたのは私だけだった。しかし俳句についてとても興味深い話を聞くことができて満足。
俳句、深いのぅ。
私の詩は12月の詩として山陽小野田市立図書館のホームページに掲載中。
https://library.city.sanyo-onoda.lg.jp/poem-cafe/
下書きメモによると今年の8月くらいに書いたらしいが、あまり覚えてない。
昨日から職場に復帰。
昨日は半日、今日から1日仕事。工場での立ち仕事なので足が痛い。
慣れたらどうってことないんですけど、今日はさすがに疲弊しております。はい。
2ヶ月ぶりの仕事とあってなかなか思うように行きませんが、どねぇかこねぇか乗り越えたい。
礒多忌でした(カメムシ)
昨日は礒多忌でした。
天候にも恵まれ、思っていたより多くの方々に来て頂けて感謝です。
きっと礒多も喜んでいることでしょう。
礒多忌が始まってすぐに退院祝いのお花をプレゼントされてびっくりしました。礒多のお墓に供えるには派手な花(バラ)だなぁとは思っていたんですが、まさか自分が貰うとは‼️
篠笛の音色は帰郷庵にぴったりでしたし、ハーモニカの演奏に合わせて皆んなで歌うことがあんなに盛り上がるとは思いませんでした。
朗読については「読む会」のメンバー以外の方にもテキストが必要だったと反省しています。
次回の礒多忌では準備するつもりです。
私はギター演奏と今年学んだ礒多のことについて話をしました。途中でカメムシが椅子の下に出現するハプニングはありましたが(笑)どうにか乗り越えました。2曲目の演奏が辛かった😅
礒多のお墓は間違えて「磯太」になっています。亡くなってからもなお名前を間違えられる残念さが礒多らしいとも言えます。
昔「こっちが本名説」が出たことがありますが「礒多」が本名です!
お間違えなく!
哲学カフェと礒多忌プログラム
昨日は久しぶりに哲学カフェ☕️でした。
入院中からどうにかして参加できたらええなぁと思っていたので参加できて嬉しかったです。
周南市文化会館のレストランでやったのですが、リトルグリーモンスターのライブがあったので、グッズ販売に長蛇の列ができていました。
なので哲学カフェはいつもより1時間早い開始でした。
テーマは「悪とは何か?」
悪について様々な意見が飛び出しました。
政治家、自殺、人に迷惑をかけること、犯罪、メディアの伝えかた、サイコパス、バイキンマン、ブラックジャックは?善人?
ダークヒーローは?
必要悪はあり?なし?
話を聞いたり自分も意見を言ったりしているうちに己のなかの善と悪の判断が揺らぐのを感じました。
何を基準に善悪を判断していたっけか?
同じ行為でも時代や場所や文化によって善悪は変化します。
大切なのは1つの事柄を簡単に善悪で極端にレッテル張りせず、きちんと調べて考えることです。
そして考えることをやめない事だという結論で終わりました。
まだ、話し足りない人たちが居たようですが、ここで抱えたモヤモヤがこれから役に立ったりすることを私は知っています。
詩か小説のヒントになりそうな言葉もゲットしました。
帰りはさすがに疲れが出て、何度もコンビニで休憩しながら帰宅しました(RPGでこまめにセーブする人みたいだった)。
写真は哲学カフェでお世話になっている哲学者・小川先生の新刊です。エリック・ホッファー入門編といった感じでとても読みやすいのでおススメです。サイン貰いました! ありがとうございます😊
礒多忌のプログラムができました。
礒多忌もうすぐです。
退院しました
どうも。
今日の午前中に退院しました。
先月、回復している中で急に悪化したので正直不安でした。昨夜はあまり眠れませんでした。
今も少し不安です。
流動食から3分粥から5分粥、全粥と少しずつ腸に負荷をかけてゆき、後半はお腹が空いて仕方がないという状態でした。
おかずもあっさりしたものが多く、病院の食事では最低限のカロリーしか摂取できないというのもありますが、お腹が空くのは体が元気な証拠だと思います。
今、体重が入院したときから5キロ落ちており、歩くだけでもふらつくような状態です。
栄養士と主治医の先生によると、戻るまでに2週間はかかるとのことでした。
礒多忌にはギリギリ間に合いそうで安心しています。とはいえ油断せず無理せずちょっとずつ体を元に戻していこうと思います。
ご心配をおかけしました。
今後の活動予定です。
2018年
11月24日(土曜)礒多忌
2019年
2月24日 (日曜)文学フリマ広島
よろしくお願いします。
礒多忌。来て頂けると嬉しいです。
病室から眺めていた風景です。