無料配布とかマジかよ『Wanna be?』

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 ラウシズムの新刊はまさかの無料配布だった。よって、たまたま手にしてしまったラッキーな人も、なんなのかよくわからない人も居たことだろう。


『Vertigo』
「聴く」ことがテーマの一編。ラウシズム日谷が目指す「川口文学」の一端を垣間見ることが出来る。
 主人公の近衛は、性別すら判然としない。そして「大迫」という人物の死がまるで曲のサビのように何度も繰り返される。
 近衛本人には、とくに何も起こらない。ただ、近衛が生きる過程で、誰かに起きた出来事を「聴く」のである。近衛には周囲のさまざまな出来事が蓄積してゆく。『Retold』(Brilliant Failure収録)では、物語を想像し、会話から膨らませてゆくことがテーマだったが、この作品は近衛が出来事(物語)を受け取り、眺めるだけで受動的だ。特に目的もなく日常を過ごしているように見える。
 しかし、周囲に全く無関心というわけでもない。近衛の周辺では事件性の高いことから、なんてこと無い過去まで、さまざまな物語で溢れてゆく。
 アルバイトの同僚・佐藤の子供が行方不明になったり。小学校時代の同級生が金を借りにきたり。秋葉原では高校生が爆破事件を起こしたりといった、いかにもありそうな日常と事件がひたすら並べられてゆく。
 この作品で重要なのは、「書かれていないこと」である。近衛については殆ど書かれない。なんで今の職場で働いているのか、どういう経緯で川口市に住むことになったのか謎のままである。
 逆に川口市については、ウィキペディアの情報が引用されこれでもかと言うほどに畳みかける。しかし、川口市について何も語ってはいないように感じてしまう。ただ単に情報を並べただけでは場所に愛着がもてないことを証明しようとするみたいに。
 近衛について触れないことで、読み手には想像する余地が与えられることになるが、そういう気にさえさせないほど、つまり物語を創造させないほど情報が少ない。
 情報や物語の量のコントロールは、小説として歪(いびつ)で不完全だが、失敗したのではなくあくまで意図的に行っているのだろう。
 断片的な情報や物語を受け取った後の読み手の想像力が試されるのを感じるが、私はおちょくられている気がしてやや不快である。しかし、こういった不快にさせる小説があってもいいとは思う。この小説に私が不満だ、ということは、私自信ははもうちょい情報量が多い作品を書きたいのだろう。

 このテイストで何作か書き続けていけば、ものすごい小説が生まれると信じている。私の個人的な好みなど気にせずにこのまま走り続けてほしい。

 『Sympathy』
 悪魔のスタヴローギンと天使のラズミーヒンの掛け合いが微笑ましい短編。
 時間軸として、前作のあとである。
 炬燵は正義。
 異論はない。

Scarecrow
夢から覚めない夢が描かれる掌編。覚めても覚めても夢というのは確かに怖くはある。しかし、私が今こうしている現状が夢ではないと誰が言い切れるであろうか? 的なことを考えたことがある人ばかりが文学フリマにはいる。
 短いから試し読みにはうってつけの作品。

 冒頭にも書いたように無料配布だったのだが、収録作品の取っつきにくさから狂気の沙汰である。無料であったところで読んでくれる人がいて、なおかつ感想を書いてくれる人がいるであろうか?
 一体何をやりたいどんな小説なのか、知られぬままに放置されやしないかという不安に駆られて遅れはしたがざっくりと感想を書いた(下書きを書いてUP忘れていた)。
 無料配布でゲットした幸運な人はぜひ手に取りページをめくって欲しい。
 
 よくよく見たら、表紙の写真が逆さまだけどなんか意味あるのかな?

「彼は私小説の極北と称されました」

初めて嘉村礒多のことを知ったのは、なんてことないローカル番組だった。

 

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確か10年くらい前、山口県にゆかりのある作家を紹介する短い番組。
「彼は私小説の極北と称されました」
アナウンスがそう言っていたことがやけに耳に残った。

 


その後、礒多の講談社文芸文庫を手に入れるものの、最初の2編で挫折してしまう。
 読みにくい!

 全くの別件(確かゆずのコンサート、その頃ファンだった)で東京に行ったとき、神保町に行き思い切って全集を購入。
こっからが本番だ! 読むぞぉ! 読む! 

積む(放置)!

結局、読み始めたのは、2013年にニートになってからだった。
タイミングよくセミナーがあり、課題の小説以外の全ての作品を読む。

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(父がニート息子に持ってきたチラシ)

 

染みる染みる。クソみたいな男の、ネガティブな想像力と無様な反省が染み入る!

そして全集は字が大きくて読みやすい! 

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 あの頃、私は辞めたブラック企業のおかげで、精神的にかなり落ち込んでいた。
 礒多の小説は、そんな自分の為に作品を書いてくれたのではないかと思うほどに、自分の精神状態にぴったりだった。

 礒多は駆け落ちしたことが大きく捉えられがちだが、その前の在郷時代の苦しみもまた計り知れない。高校中退で野良仕事もろくにできず、全く自分に自信が持てない男が、よくコネもない状態から、文学者として名を残せたと思う。

 

 その後、私はもっと沢山の人に読まれるべきだと思い、文学フリマでの礒多本の頒布を決意する。しかし、同人誌を作るのにもお金がかかる。礒多のように親の脛を齧り尽くすのに抵抗があった私は、また働くことを決意する。


 結果、働く方に大きく己の力を注いでしまい大失速。バランスを欠いたサークル活動になっている。

 確実に言えるのは、礒多の小説がなければ私は自立できず、未だにニートだったろうということだ。
 嘉村礒多の小説には、ニートだった自分に顕彰活動をさせるだけの力はある。
そういう力のあるネガティブな作品が、あなたにも何かしらのポジティブをもたらすのではないかと、淡い期待を抱いている。
 そうして現在の「文学」が少し進むと信じている。という洗脳に日々勤しんでいるのだ。
 自覚的に自分を洗脳でもしないとやってらんねえよ。

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ノマドぶりたい2017年春。都内某所にて。

ドヤ顔で自慢しよう『LET IT GREET』

『LET IT GREET』
 日谷氏の大学時代後半とその後の埼玉生活から紡ぎ出された作品群。

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 ちなみに改訂前と改訂後では納められている作品が違う。シングルを3種類リリースしてカップリングが異なります的なあくどい商法をしようというのではない。
 問題は改訂版には収録されていない作品を評価したい私の気持ちである。
 
青い月、黒猫、赤い髪


ーー近所の高校のグラウンドに忍び込んで、満月の、真っ青な御月見に洒落込むことになったーー

 夜の高校に忍び込む男女を青い月明かりがただ照らす。風景の描写が細かくて、美しさをみせながらも、主人公はどこか冷めている。冷めた視線と彼の赤い髪は全く重なっていない。むしろ、青い月の光に近い。
 黒猫の鳴き声がリアル。

『Come As You Are』
 主人公の修一は八畳ほどのアパートに兄と姉と三人で暮らしている。彼の居場所はそのロフト。狭っ苦しいことの居心地の良さは、修一が置かれている立場のメタファーである。
 この状況に至るまでの過程が詳細に描かれていないあたりを許せるかどうかで、好みは分かれるだろう。
 ぜひ、狭い場所でひっそりと隠れるように読んでほしい。


紫陽花


ーー葬式から一ヶ月も経てば私は時々、母親が死んでいることを忘れたーー

 大学生の妹は急に下宿を尋ねてきた兄と箱根に行く。兄は小雨降る箱根の景色を撮影する。妹は母の死を受け入れつつある。
 箱根に行ったこともないのに行った気にさせるやさしい短編。
 箱根駅伝に選手として参加して読んでほしい(冗談だよ)。
 
『徒歩三分』
 珍しく私小説的に描かれた作品。一瞬ブログの文章かなと思った。きちんと小説である。
 日常の「詰まらなさ」にスポットが当てられる。 埼玉県川口市という場所を舞台に、著者が何を描きたいのかが、なんとなく理解できる掌編。

 

『四万キロメートルで挨拶を』
 大学文学部の卒論あるあるが詰め込まれているので、文学部で卒論を書いた人は共感できるかもしれない。
 私は、主人公・大学生の新條が食べるキウイフルーツのくだりが好きだった。田舎では大量にキウイフルーツが採れたりするのだ。ニュージーランドで鳥の方のキウイも見たことがある。
 部分的におもしろいところはあるが、全体通して見ると、個人的には消化不良な感じが否めない。誰か読んで解説してくれないか?
 

(おまけ)『墓を掘る、死体を焼く』  
 改訂前に納められていた一作。フラグメンツ収録《箱》の元となった作品らしいが、こっちの方が面白かった。
 墓を掘る人。焼く人。そしてもう一つの視点が加わったことで、ぐわっと広がっている。何処かのサイトで読めるようにしといたら(してたらすいません)ラウシズム入門にもってこいである。

 

 私が読んだラウシズム作品について、後半はめっちゃ駆け足ではあるが振り返ってみた。

 ぜひ第24回文学フリマ東京で

【A-18】

に来たら、全ての本をゲット。ついでに無料配布の

『Wanna be?』

までを5月中に読了し感想を著者にメール、もしくはブログまたはSNSに書いて(否定的な意見でもいいと思う)、ラウシズム日谷はわしが育てたとドヤ顔で自慢して頂きたい。

 今ならまだ間に合う。

神った『SIDEWALKERS』ポリフォニー

『SIDEWALKERS(サイドウォーカーズ)』

 かなりエグい5作品が収められている。

 過激な内容でも全然、大丈夫、むしろ大好物という方にオススメ。

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『The Night with Love and Laughter』

この作品は数あるラウシズム作品の中でも特に異質なので、先入観の全くない状態で読んでほしい。よって、私の雑感は白い色で書いておく。

設定はどうあれこの作品は失敗してないか?
という話を日谷氏にはした。

しかし、大変難しい実験に果敢に挑んだ成果の一つとして前向きに受け止めたい。

私の数少ない好きなバンドの一つ「髭(HiGE)」の「檸檬」という曲がぴったりすぎて怖い。

 

『Satisfaction』
 ーー津村は自分の人生を振り返ってみて、殆んど辛い記憶が思い出せなかった。幸福な記憶も殆んど思い出せなかったが、彼はこの平穏無事な人生に至極満足していたーー

 同棲生活を描く作品は著者の手癖のようなもので、ついやってしまうらしい。
 しかし、この作品はそれなりにまた違った結末に至る。
 満足している主人公・津村のところに転がり込む18歳の千暁(チアキ)と後から紹介される隆明。隆明は別の女子大学生の家に居候している。

 別々の家に寄生する若い男女に食事と寝床は与えつつも、津村は無関心を貫く。
ーー津村さんは、とても親切な人です、とどうにかして青年は言葉を言い切った。
「有り難いね」
「親切ですけど、きっとどうでもいいんでしょう?」
 津村はふっと、反射的に、頬の筋肉が強張る野を感じた。
 その緊張が解けるとまた自然と柔和な表情が現れてきたーー
 
 隆明は言うなれば千暁のヒーロー的な存在である。素直であるが故に自分への悪影響を全く考えず彼女のために何でもしてしまう。
 津村は言わば彼女からの迷惑を渋々ではあるが、淡々と受け入れてしまうラノベ主人公に近い。助けはするが、過度に関わろうとはしない。それは、彼が「満足」しているからだ。
ーー俺は一体、何に対してどうでもいいんだろう? 世界に対してか? それとも、自分自身に対してか? それすら自分自身では掴みかねていたーー
 ヒロインに対する無関心を極限まで高めるとこういう人間が現れる。
 その「どうでもいい」が「満足」から出発していることは、中途半端な絶望や諦観よりも遙かにタチが悪い。

 

『Lark's Tongues in Aspic, Part Two』
 三作目もかなり設定に既視感があった。
 前作『Vacant World』と設定は、ほぼ同じである。繋がってはいないらしいが、『Vacant World』の後にこのエピソードがあってもおかしくはない。
 『Satisfaction』でも使われた「リモコン」が作中の物語を動かすキーアイテムとして効果的に登場する。
 青年が抱いてしまうのは、先輩を完全に理解したい欲求である。それは、相手を意のままに征服したい、コントロールしたい欲求へと繋がってしまう。
 いつの間にか場面が変わっているあたり、少し読み手へのハードルが高いかもしれないが第123回芥川賞の『しょっぱいドライブ(大道珠貴)』が読めた人なら問題ない。

 

『How to Dismantle Virginity』
四作品目を読み終わったときに感じたの「すげぇな」だった。単純にそう思った。
 視点が転々とする。確かに、日々ニュースで知らされる事件一つとってみても、多くの人に影響があり、そこここで人間関係の事故が多発している。はずである。
 最初に描かれる場面から最後に描かれる場面までの流れがものっそい綺麗である。
 女子高生の仲良し三人組ーー相沢・峰葉・黄地(おうじ)ーーのうち黄地が殺される。
 相沢が、学校に通えなくなった峰葉を励ましに行く所から物語は始まる。
 死体の第一発見者である大貫は自分が死ぬ間際に、そのときのことをまざまざと想起する。
 殺された黄地の妹は、刑務所から届く犯人の謝罪の手紙を読み続ける。
 相沢の大学時代の後輩・畝張は社会人になって先輩とのことを振り返る。
 そして、峰葉は物語を鮮やかに締めくくる。
 
『Conturing the Whirlpool
五作目。なんだこれは。と思った。
 私はてっきりこの作品が一番新しい作品だと思ったが、これが初めて書いたそこそこ長い作品だという。

まじか。

これまでの作品はこの作品を細かく刻んだ物を小出しにされていたのか、と思うほどには完成している。
 なんだよ、小出しにすんなよ。


 これを超える作品というのは、著者本人にとってもハードルが高いだろう。
 『How to Dismantle Virginity』はたまたま上手くいった感じがあるが、これは自力できっちり仕上げたという印象。
 古本屋「青樹書店」の無関心な店主を中心にした物語。
 文学に明るい大学生・新一の視点が、より物語を複雑に多面的に彩る。
 阿部和重を読むよ、という人には是非読んでほしい一作。

 正直に言ってしまえば、私はラウシズムの本の中でこの本がダントツで面白いし好きだ。これまでの彼の作品群が霞んでしまうほどにぶっちぎりである。
 色々、読みたいけどどれにしようか悩むならこれだけでもいい。
 『Conturing the Whirlpool』と『How to Dismantle Virginity』を超える作品を待ってます。
 読めばあなたも待ちたくなるさ。

あなたの文学には何が必須?『Brilliant Failure』

「Brilliant Failure(ブリリアント フェイラー)」

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 私が最初に触れたラウシズム作品である。
 後書きにて著者自身のエピソードは語られているので、きちんと最後まで読むとすっきりできる一冊。
 タイトルが全部英語なのが、私泣かせだが、どうにか乗り越えたい。
 9作の短編が収められておりどれもなかなか読ませる。ようできちょる。けれどそれはあくまで私だけの感想だ。

『Out of Time』
 ーー問題は自分の人生の外部に、他人の人生が何億通りもの配色で散らばっているという事実なのだ。都市部の満員電車に乗り込むと松永は時々気分が悪くなるーー

 零細出版社の社員である松永が、数年前の同窓会で地元に帰り、久しぶりに再会したさほど仲良くもなかった高見さんとの会話を回想する。
 作中で紡がれるのは、些細なしかし登場人物それぞれにとっては割と重大な絶望と行き止まり感だ。
 私は大学に行ってないし、同窓会にも出てないから、この話に関しては「あるある」は一切なく、ほとんどファンタジーとして読んだ希有な読者かもしれない。
 しかし、大学で県外に出て、たまに帰って来た地元の呑みの席で、ついうっかり弾けすぎたり、たいして仲良くなかった人に、割とぶっちゃけた話をしてしまう感じはわかる。仲良くなかったから逆に話せるというかね。
 公園の障害者用トイレという場所の使い方がうめぇなぁと感心した。
 働き出せば、松永が感じる「人生的な孤独」とは無縁では居られないだろう。

ーー人生的な孤独だ、と松永は漠然と考える。自分が首を巡らせて把握出来る領域より外の世界は、干渉はしても侵入は出来ない。ーー

 あくまで状況を描き、登場人物の内面に過度に踏み込まないことを意識しているのがよくわかる一作目。

『Retold』
ーー秋野は自分が主演する、台本の無い物語を演じていたーー
 少年(13)と少女(12)の逃避行に少し関わった秋野と関わってないがなんかむかつく飛騨とのやりとりで、逃避行の物語を創作してゆく。
 メディアで報じられる悲惨なニュースの断片的な情報は、ときに無駄な想像力を発揮させられる。こういう話なんじゃないか? いや、もっと裏の事情があって、とか。
 そういう、想像力を作中人物に駆使させることが、どちらかというと批判的に描かれる。
 この入れ子構造を楽しめたなら、あとの話はだいたい楽しめるだろう。
 (しかし、話は全然変わるけれど、腐女子の想像力ってすごいよね。たまに感心するわ) 

『Vacant World』
ーーだからあいつのビーフシチューは命の味がするんよ……と小牧は付け加えたーー

 高校生の浩輝は先輩の小牧から手伝いを頼まれる。何の手伝いかって? いつものやつだよ。
 女の先輩・小牧が話す大阪弁が心地よい。

『Commonplace』
ーー「先送りは面倒になるだけだよ』母親の鋭い言葉がグッと脳髄に響いて、萩野は表情を歪めて視線を落としたーー
 誰しもに刺さりそうな母親の言葉ではある。
 『Retold』同様、突発的な同棲生活が描かれるが、なんかもうよくわかんねえな、という投げやりな気分にさせられて、その気分が主人公が抱くやつと同じ物のような気がしてくる。

『Vomit』
ーー担任達はマニュアル通り「お亡くなりになられた」という表現を使ったが、それは「首を括られて自殺なされた」という奇妙な尊敬語を使うことが余りにも憚られたからでもあるーー

 一人の女生徒の自殺から玉突き事故みたいに学校内に広がっていく影響を多面的に描写する。
 群像劇に近いかもしれない。しかし、よく死ぬ。

 ニュースの世界の向こう側ってこんな感じかも知れない。


『99 Luftballons』
ーー私の母親は、もう四十一歳だってのに、パートではたらいていたコンビニのアルバイトだった大学生に色目をつかわれて、だまされて、二十万とられて、それを知って逆上した父親にフライパンでなぐられて救急車で病院にはこばれていったーー
 段落がほとんどなく、一息でバーっと語られる少女の一人称。   
 著者が「しんどくなったら読み飛ばしてください」と書いているが、ここまで読めたあなたならなんてことないだろう。文フリクラスタはそこまでやわじゃない。と思う。むしろ、そういうエグい少女漫画的な作品が好きな人も居ると思うんだけれど。

 

『Fragile』
ーー「裕一はきっと殺されたんだよ」ーー
 この辺で、著者を心配し始める。割と本気で。
 また死ぬの?
 三人の少年と一人の少女。四人組の関係性がジリジリと歪んでゆく。その過程が、むしろ心地よくなってくるまである。
 あとがきにもあるが、文芸部内で評価が分かれたというのは納得。あなたはどっち派だろうか?
 この小説はうまくいってる? いってない?  私の評価?
 あなたが読んでからにしてくれないか。

 

『Apparition』
ーー本当に波の音だけなのだ。松原を走る少年も居なければ、遠くで汽笛も鳴らないし、海鳥は何処かに隠れている。電車は永遠にやってこないーー
 ここだけとても平和である。のんびりと、海の近い駅でこの話を読みたい。
 ここだけ天野こずえ「ARIA」である。

『Underneath the Sky』
ーー二重に折り畳んだ青いビニールシートを地面に敷いて、そこにペタンと座り込んで、膝の上に無造作に広げた布切れを、彼女は黙々と裁断していたーー
 奇妙なボーイミーツガールである。もしも、野外で布切れを黙々と裁断する女性がいたら、優しく見守ってあげてほしい。たぶん、色々と事情があるのだ。でも、なんというか、やる気がなくなったときとか逃避のように、一つのことに没頭したくなる感じは理解できる。そういうのが理解できる人しか文フリの純文学サークルのところには来ないとは思う。

 いかがだったろうか。
 ここに掲載された作品群に大きな関心と期待をよせて頂けたら幸いである。

 もしこの作品集を読んで何か足りないと感じるのであれば、それはあなたが理想とする文学に必要な要素だ。

文学という木を支える 文学フリマ金沢2017

金沢に行く
木を支えるように
木に寄り添うように

 

金沢に行ったことについて、もう少し早く何か書く予定だった。しかし、まあ、4月というのは色々と忙しい。これも毎年のことだからいい加減に慣れようと思うのだけれど。

 

前日の昼頃に金沢に到着。

駅の写真を撮らない程度には金沢慣れしてしまっている。

カレーを食べる。美味い。サラダ合うわぁ。

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そして石川四高記念交流館と石川近代文学館へ。

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昨年は時間切れで買えなかった広津里香の詩集などをゲット。ほぼ満足。

広津里香まじカッコイイっす。

 

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ふらふらと歩く。

桜が舞う。

 

 

夜はカツ丼とそばを食べる。昨年も同じ店で食べた。ちなみに昼食のカレーも。

昨年は夜遅くに来て、店員がくそ不機嫌だった。今年は店員がバイト初日の人で、店長が教えながらだった。


タワレコとか本屋にも行く。金沢は都会。

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鷲崎健のDVDと岡田麿里の本)


早めにホテルチェックインして、あれこれ準備。ここで準備って遅くね?

毎度のことさ。

 

翌日、設営の手伝いがないので、ホテルの朝食を食べてからぎりぎりまで準備。

とてもいい天気だ。


開始後ちらほらと一般参加の人がやってくる感じ。嘉村礒多のチラシを配る。


かなり早い段階で見切りをつけて、海鮮丼を食べに行く。

喫茶メルト最高かよ。

 

昨年は諦めたトークセッションに参加。
 金沢の文学者たちがどのように金沢を描いているか、という話。故郷というテーマは今の自分にとってかなり重要。在郷時代の嘉村礒多作品についてあれこれ書く宿題を「礒多を読む会」から頂いているからだ。
 ざっくり今回のセッションの内容を要約すると、長いこと金沢に住んでる作家は、多面的に金沢を描く傾向にあり、少し関わった作家は幻想的な金沢を描く傾向があるとのこと。
 文学は「読むこと」がいわば最終目的であり、その作家の記念館とかに行く意味を全く感じない人もいるという話は大変興味深かった。しかし、前日に見た三文豪の展示や、西村賢太の直筆原稿や、文学サロンスペースにあった嘉村礒多の作品が収録された本に私は刺激されている。
こういう環境がこれからの文学になにかしら影響を与えたということに私がすればいいのだが(ここからアニメ「少年ハリウッド」の握手を本物にするというアイドル論につながる)。
その話を聞きながら私は来年も金沢に来るだろうとなんとなくそう思った。

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両隣のブースの方とあれこれお話。
左の「イン・ビトロ・ガーデン」灰野密氏の装丁を見てキダサユリ作品を想起した私のカンは正しく、知り合いだった。純文学ブースは二つ。少し、いやかなり寂しい。


右隣のサークル「That's right」曽野十瓜氏の「アマヤドリズム」には金沢弁が登場とのこと。そういうのに弱いっす。

本を買っても読まない病に罹患しているので購入は控えめに。


毎年打ち上げに参加したいが、帰らなければならない。

来年も金沢に来よう。島田清次郎との戦いの成果を引っさげて。

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文学という木を支える雪つりの縄になりたい。

 

『Fragments』by Lousism「文学とエンタメの狭間を揺蕩う」

純文学サークルLousism(ラウシズム)と初めて会ったのはいつだったか?
何回目かの文フリ大阪でたまたま隣のブースになった。
あのときの文学フリマ大阪は楽しかったなぁ(遠い目)。

 

Lousism(ラウシズム)は日谷秋三による個人文芸サークルである。
どうでもいいことだが、文学フリマでいつも思うことは、小説を書く能力と自分の書いた小説の良さを説明する能力は別物だということだ。
ラウシズムの小説の良さは、なんとも説明し難い。著者本人ともなればますます大変だろう。

 

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『Fragments(フラグメンツ)』から語ってゆこう。
 大学の文芸部時代の作品集には日谷氏の根本が詰まっている。

 荒削りだがひょっとすると凄いんじゃないかと思わせる何かが詰まっている。何かはよくわからない。


 他の本もそうだが人がよく死ぬ。よく死体が登場する。

 私は何か過去に知り合いでも死んだのかと不安になった程である。そう思わせる程には作品にリアリティがあるということだ。
 17作の短編が納められているので、全てとはいかないが気になった作品のみピックアップしてその魅力を紹介したい。

『鴉』では主人公・了平が鴉と会話する場面をさらりと淡々と描く。この話にするっと入って行ければラウシズム第一関門は突破したといえるだろう。

ーー鴉が黒いのは、血だまりの中に頭を突っ込んでも汚れないためなんだな、と了平は思ったーー

 

ゆずレモンサイダーの夜』では日常と非日常の狭間に空のペットボトルというありふれたアイテムが効果的に使われる。ジンジャエール以外の炭酸飲料がさほど好きでない私にゆずレモンサイダーをうっかり購入させるだけの力はある。
ーー彼女を殺した瞬間から、江口はやってみたいことがあったーー

 

彼の作品には「蟀谷(こめかみ)」という漢字がよく出る。私は最初読めなかった。だからあなたも読めなくても安心してほしい。

 

 彼の作品に触れると、なんだかアフタヌーンの漫画を小説で読んでいるような錯覚に陥る。好きなものが自然と滲みでるのが創作だ。つまりアフタヌーン的な漫画が好きな方にはストライクだと思われる。たぶん。

 

『西端にて』は完全にどこか異国のおっさんの一人語りだ。海外小説へのリスペクトが感じられる(なんとなくガルシアマルケス)。

『Fragments』は設定が、現代、近未来、異国とあちこち飛ぶ。だが、一貫しているのは常に「生と死」に強く引き寄せられた物語を描いているところだ。
 「生と死」の価値が、設定された舞台によってコロコロ変化し、その都度あえて不謹慎な状況を作り出すことで、こちらに倫理(現代に住む私の日常の)を問うているように思う。
 日常が破壊された後の新たな日常に設定される倫理を私は練習させられた。

ーーここから西には何も無いんだーー

 

水色の街』は退廃的な滅び行く近未来を描いた一編。水に沈みゆく街の末期的な状況を主人公ケンジの目が絶望的になぞる。


ーー集会場の渡り廊下から橋が四方八方に伸びているこの街を見遣ると、まるで蜘蛛の巣の中心にでもいるような気分になったりする。この瞬間にケンジが軽く飛び跳ねれば、蜘蛛の巣全体が激しく揺れて、硬く膠着してしまった蜘蛛の糸は次々に破れて海に落下して、この街は簡単に滅んでしまうのかもしれないーー

 

『窒息日和』と『海辺』は状況は違えど流れはほぼ同一である。
『窒息日和』は駅のホーム。『海辺』は波打ち際。共に男女の短い出会いが描かれるが、どのように同じなのかは、ぜひ読んで確かめていただきたい。
「死」に対して冷淡でいたい感覚。「死」に感情を揺さぶられるのだとしたら、それまでの「生」の物語を知らなければならない。

結果として突発的にーーあるいは「郵便的」に(by東浩紀)ーー出会った「生」に対しても冷淡に振る舞ってしまう。それぞれの主人公が優先するべきは「読みかけの本」や、自分が入り波に揺蕩うための「木箱」になる。
ーー僕は表情に現れないように苦慮しながら、騒がしい連中は全員、ベッタァッっとした晴天に頭を突っ込んで窒息死しちまえばいいのにと物騒なことを心の底で考えていた。ーー『窒息日和』

ーー「僕も散歩ですよ。木箱と一緒に海の中に入ってね。前衛的でしょう?」ーー『海辺』 

 

 後半の三作品『鬼子』『石飛礫』『幽霊造り』を無理矢理まとめて考えたい。
 『幽霊造り』は著者が「前書き」で書いているようにエンタメを意識した印象を強く受けた。メディアワークス文庫にあっても違和感のない作品である。『鬼子』も少しそちらに近いが、このあたりで、所謂「どっからラノベでどっから文学か問題」に触れてしまう。しかし『石飛礫』はなんとなく「文学」っぽいなと私は感じる。


 この短編集を読んだあなたがどう感じるか私は知りたい。それは、下らないジャンル分け議論であってはならない。あなたが何処をどう面白いと感じるのか?

私は語りたいのだ。この本を読んだあなたと。そして著者本人と。